奥深山免訴
2006年7月16日 奥深山さん収穫祭   
カレーだよ
奥深山さん 畑にて
みんなで収穫
2006年2月15日奥深山幸男さんの免訴を東京高裁に申し入れ   

請願書pdf

2月15日、星野さんの最高裁への誓願行動に続き、東京高裁第11刑事部に奥深山さんの免訴を早く決定するよう申し入れを行いました。
弁護士、医者、友人等、奥深山さんの免訴を求める234名の方々の要望書を提出いたしました。皆さんのご支援に感謝いたします。
今年で奥深山免訴は申立から12年を迎えます。裁判所はこの間、裁判官の交代や「記録を読んでいるところだ」などと、言い訳を繰り返してきましたが、2002年には奥深山さんの訴訟能力の鑑定に踏み切らざるを得ませんでした。
しかしその後、鑑定人(山上晧・東京医科歯科大学教授)は3年を過ぎ、未だ鑑定書を提出していません。2003年夏に数度奥深山さんに面談したのみです。その際には2003年9月末までには鑑定書を提出するとのことでしたが、すでに2年半が経ちました。
昨年末に弁護団は、山上氏が鑑定人としてあまりに不誠実であり、不適任であると解任の申立を裁判所に行いました。さすがに裁判所もいくら何でも3年以上鑑定書が提出されないのは異常事態と認識したのでしょうか、山上氏に問い合わせをしました。山上氏は「7割ほど出来ている」「昨年夏にはその後(2003年夏以後)の奥深山さんの状況を院長に問い合わせした」「4月以後に提出する」と回答したそうです。しかし三枚橋病院長はそのような記憶はないと言っています。このような状況では真摯な鑑定は望むべくもありません。奥深山さんが日々病気と闘いながら生きている状況を愚弄するものです。
今年は病気治療のため公判停止になってから25年目です。奥深山さんは「生きることがたたかい」の毎日を過ごしています。日常的に服用している薬は常人が飲めば意識を失うほどのものです。これ以上裁判の重圧は許すことが出来ません。今年は奥深山さんの免訴申立にとって決戦の年です。全力で奥深山さんを支えながら、免訴に向けてがんばります。皆様のご支援をお願いいたします
奥深山幸男さんと免訴      署名用紙 pdf
奥深山幸男さんと免訴

1948/6/14 佐久市に生まれる

1971/11/14 沖縄返還協定批准阻止闘争=渋谷闘争に参加、
       デモの衝突で機動隊員一名死亡(渋谷事件)

1972/2/2 「渋谷事件」で、群馬の学生一斉逮捕

   3/13 「殺人罪」で起訴

   9/25  奥深山・荒川裁判として、東京地裁刑事第七部で開始

1979/2/13 東京地方裁判所において、一審論告求刑・無期懲役

  10/23 奥深山一審判決、懲役15年 東京拘置所収監、翌日保釈出所

1981/7/15 東京高等裁判所、公判手続停止決定

1994/6/20 西山詮医師「被告人奥深山幸男精神状態鑑定書」作成 「訴訟能力」否定

   12/13 東京高等裁判所刑事11部に免訴(公訴棄却)申立

1998/ 8 太田市三枚橋病院に転院

2001/8/3 証人尋問 証人:春日医師 前橋地裁太田支部 午後1時半〜3時

2002/3/15 検察官(東京高等検察庁検事奥村丈一)

      「保釈・公判手続停止決定の取消及び審理再開申立書」

2002/9/17  東京高裁は職権で、山上皓教授(東京医科歯科大学・犯罪精神医学教室主任教授)を鑑定人に決定

   10/25 山上鑑定人尋問

2003/7/3 山上鑑定第一回

   7/10 奥深山免訴第一回研究会開催

   7/11 山上鑑定第二回

    7/24 山上鑑定第三回

2004/1/7 遠藤弁護士が高裁に問い合わせたところ、鑑定書の提出はない。
      裁判所としても特段の催促はしていないとの返答であった。

2004/10/26 東京高裁11部と折衝(遠藤、嶋田、山本の各弁護士)

   12/9 第一回の検討会を開催

2005/4 東京高裁:鑑定書が出ていないので弁護団と面談の必要なしと回答

   7/14 第二回奥深山免訴研究集会

2005/12/28 弁護団、意見書提出(「鑑定人決定以来3年を過ぎ、鑑定開始以来2年半が過ぎようとしているのに未だ鑑定がでない。これは、鑑定人としての適格に欠けるのは明確である。山上教授を罷免し弁護人推薦の鑑定人を採用し、免訴を決定されたい」という趣旨)

2006/1/12 裁判所が弁護人に折衝を求める。山上教授は7割はできているので、あと3割を4月にとりかかる予定であると経過を説明し、もう少し待って欲しいという。

山上鑑定人や裁判所の不誠実な態度は許せません。奥深山さんに免訴をの声を大きくしていきましょう。署名にご協力下さい。[この記事のタイトルにリンクしてある署名用紙(pdfファイル)をダウンロードして、ご使用ください。]

送付先は、〒371-0026前橋市大手町3-1-10角田・出牛法律事務所気付 奥深山さんの免訴を実現する会 

tel:027-233-6151 fax:027-234-5729

奥深山免訴研究集会に参加して  神藤猛雄
 星野文昭さんの元共同被告・奥深山幸男さんの免訴を求める研究集会が2005年7月14日、弁護士会館で開かれました。

 奥深山さんは1971年11月14日の渋谷事件で、一審懲役15年の刑を受け控訴しましたが、獄中発病し、東京高裁により1981年7月15日、「訴訟能力なし」で公判手続停止決定が出されています。しかし、刑事被告人の立場に変わりはありません。奥深山弁護団は裁判と病気という二重の苦難から奥深山さんを解放するために、1994年に東京高裁に公訴棄却を申し立てました。ところが、2002年3月に検察官は「保釈・公判手続停止決定の取消及び審理再開申立書」を提出したことで、東京高裁は職権で鑑定を決定し、山上皓東京医科歯科大学難治疾患研究所長に依頼しました。山上は当初、「三ヶ月ですぐ鑑定書ができる」と豪語していましたが、未だに鑑定書は提出されていない状態が続いています。

 集会には、奥深山さんの主治医である春日功三枚橋病院医師が「障害者」自立支援法案の問題で出席できませんでしたが、支援の方が奥深山さんの最近の闘病生活について話してくれました。

 嶋田弁護士からは「裁判からの解放を!」と題してお話しがありました。山上鑑定人の三回の鑑定のうち、一回は補助者が面接して済ましているということです。又、2003年の7月に集中して三回の鑑定が行なわれて以来、ここ2年間は何の音沙汰もないということでした。一体、山上鑑定人は何をしているのでしょう。このようなはっきりしない状態が続いていること自身が奥深山さんに目に見えない圧迫を与えているのではないでしょうか。

 山本弁護士からは「奥深山さんの無実を明らかにするために」とのお話しがありました。

奥深山さんも星野文昭さんと同様に直接証拠はなく、共犯者とされている者たちの供述証拠による認定という弱い構造になっていること、奥深山さん特定の根拠が顔とかによる奥深山さんの特定ではなく、服の色による特定というものでしかないこと、しかも供述者同士で奥深山さんの服の色にも違いがあることなど、星野さん特定と同じ構造になっていることです。デモ隊の先頭を走る人を奥深山さんだと特定した供述者がいるということですが、皆、同じような格好をしている中でどうして、人物を確実に特定できるというのでしょうか。これらのことを供述分析一覧表などを元に詳しく展開されました。

 続いて、遠藤憲一弁護士から、「司法による人権侵害と精神医療―今何故山上鑑定なのか?」と題してのお話しがありました。山上鑑定人という人物は東京都犯罪被害者支援連絡会の顧問をしているとのことです。又、全国被害者支援ネットワークの会長でもあるということです。又、司法精神医療の積極的推進者でもあるそうです。防犯に関する国民の根本的な意識改革を訴えているということです。平たく言えば、権力者の側の人間だということだと思います。資料によると、山上本人が1980年から11年間の精神「障害者」再犯率調査を行なったところ、一般人の再犯率は28.0%だったのに対し,精神「障害者」の再犯率は6.8%だったそうです。この数字自身が精神「障害者」の再犯を殊更大きく扱う必要がないことを物語っています。にもかかわらず、この少ない数字をことさらに過大視、問題視して、山上が「触法精神障害者対策の確立を怠ることは、単に司法精神医学のおくれをもたらすだけでなく、日々不幸な犠牲者を生み出し続けていることになる」などと発言したり、「裁判官はそういった判断(再犯のおそれ)を行なう資格のある人たちだと思います。もし今そういう訓練がなされていないのであれば、これから学んでいってもらうべきだし、社会の安全という側面は司法の側がすべきだ」と、精神「障害者」の強制入院を主張していることは許せません。 

 その後、跡見学園女子大学講師の中島宏さんから34年前の事件で審理することの空しさ、訴訟能力の問題について問題提起など、奥深山さんの免訴実現について積極的な提言が行なわれました。

 短い時間でしたが、奥深山さんの免訴実現に向けての内容の濃い集会だったと思います。

奥深山免訴photoギャラリー 農園・仲間・集会 
農園の藪になった立木を片づける星野修三さん・・やはりアートに
奥深山農園寒おこし
農園の柿をほおばる奥深山さん
星野全国集会で農園収穫物が人気を博し完売
収穫祭
2005/7/14奥深山免訴研究集会
奥深山農園で十亀弘志さんと