1、2007年4月11日掲載
「雲霞じゃなく、イナゴの大群のようにでしょう。」辺野古「土曜集会」で仲間が言った。私のような年寄りが何千人も雲霞のように集まれば、基地建設につながる新しい作業を止めることができるのにと言う私への同意である。
配備予告のオスプレイ機は試験飛行で30人が墜落死された。改良したというが、孫たちの上を飛んで欲しくない。事前調査を落札した四業者の名前が公表された。〆て25億7千6百70万円。 雇われて来る作業員と顔をあわせることになる。「あなたを敵とは思っていない。加害者にしたくないのよ」と、また毎日語りかけよう。
日参する人には手当てが出るという噂で、「就職」申し出の人が来た。そうではない。自前で、阻止せざるを得ない思い、と覚悟、のネットワークが実態なのに。ガソリン代が生活費の多くを占めるが、老齢年金で私は通える。家にいて出来る行動もある。非暴力直接抵抗の工夫を大勢で、と切に思う。
2、2007年11月12日掲載
73才「私の住む加害の島」
朝まだき、星々のまたたきの下、329号線を北に向かって車を走らせながら、今日という日を思う。月が満ち、月が欠け、一日づつ日が進む。カタバルの戦車道と広がる浅瀬の潮の干満の時差を、風波を、確かめながら私は辺野古に走る。殺しの島。それを拒絶し切れないでいる私の住む島。言い逃がれのきかない私たちの加害者性を思いながら走る。
「否」を現すチャンスだと思う。高性能の新基地建設計画。「うみがめ」が困っていると知事が言う。そう、事前作業に雇われている作業船の船長たちよ、プロのダイバーたちよ、作業員たちよ。精一杯怠けて抵抗してくれればいい。後悔で一生苦しむことにならないために。あなたたちの分まで、私たちは必死に邪魔をしているんだよ。皆で一緒に生きて行きたいのだよ。
若い人は忙しい。せめて60才代、退職組が大勢押し寄せるといいなあ。これじゃあ新基地は造れないということになるといいなあと、切に切に思う。
3、2007年11月30日掲載
「何もしない選択」
何もしないという選択肢は大切なことだと思う。「今しないでいつするか」という格言があるが、この言葉は今動けということだけを言っているのではない。私は無理を承知で早朝から気になる辺野古の海に出ている。今行われている事前調査が法的アセスに加えられるというから、すでに新基地建設作業の本番なのである。いであ株式会社の海域生物、生態調査、サンゴ類、海藻類調査が16億の予算で日々行われている。パスコ株式会社の水質、潮流調査が6億の予算で機器設置され進められている。しかしふと彼たちに動きの無い日がある。こんな日私は溜まっている仕事を急いで片付けるのではなく、何もしないで休息することも日程に組もうと決めた。
ところで、防衛省は巧妙に利権をからめて殺人基地建設を実現させようとしている。調査の進展によっては「白紙」しかないと決めることの出来る自由が確約されていなければならないのだがと、私は強く思う。
4、2007年12月23日掲載
「寒風吹きすさぶ辺野古」
こんなことでもなければ経験できなかった冬の鉛色の風波と厚い雲の動きの下、吹き渡る風に震える全身をあずける。ああ自然は生きているのだと感動すら覚えて耐える。
機材を設置させない。新基地建設につながる作業を止める。波しぶきを全身に浴び続けながら飛び込み隊はタンクを背負う。私たちカヌー隊メンバーも、素もぐり用にシュノーケルと足ひれをつけ、緊張して作業船の動きに目を凝らす。
ダイバーは何人乗っているか、機材は何がどれだけ積まれているか。どのポイントに来るか。屈強なプロのダイバーたち。頻繁に顔をあわせる。「オバサン、邪魔してもいいけどけがするなよ」と余裕で声をかけてくれたり。
海には出られないけれど何かできることをしたいのだが、と相談を受けることがある。ひとつ思いつくこと。朝食を取れずに来た仲間のために三個ぐらい温かいおにぎりを出航前に握って参加しに来ないかな。曜日を決めてもいい。出航時刻は毎日内緒なのだが。
5、2008年1月27日掲載
「辺野古の海にバッハが流れる」
辺野古の海にバッハが流れています。
24日の朝刊声の欄で「朝一番にバッハを聴く」浦添の玉城一志さんの投稿を読みました。編集子の胸にも熱く響いたのだと思います。上段の朝一番に読めるところに組まれていました。
30年も昔、私の上の息子が少年だった頃、バッハに魅せられていてオルガン曲を全曲弾きたいのだと、譜面と録音テープで挑戦していました。毎日の菊栽培の農作業で太くなった指なので不自由しながらでしたが、一曲一万回弾けば何とか曲になるのだと、鼻血を出すほどに打ち込んで独りで弾いていました。先生につけば指の使い方などよい方法が習えたでしょうけれども月謝を出してやれない生活でした。精一杯に生きる者の疲れ、小さくされた者の傷つく感性を持ち続けていれば、光の兆しは響いて来るのだと、今の沖縄を悲しむ中から玉城さんの投稿に共感して、私も書きました。
6、2008年2月14日
「泣き寝入りせず声を上げよう」
2月10日(日)の「金口木舌」は嬉しく私を力づけた。今の沖縄の基地問題を家庭内暴力のやり切れなさにたとえ、「力や立場の強いものが、さまざまな暴力を使って、あるいは使うぞと脅かして、自分より弱いものを意のままに操ろうとする」と定義した辛淑玉さんのコラムを引用しての文章であった。「長く続くと、被害者は気力を失う」と言われるが、しかし「泣き寝入りせずに、声を上げ続けるしかない。」と結んでいる。
「否」を表せる場だと私は決めて、早朝の辺野古通いを始めて5年目になるが、「国も県も容認しているんだよ」と作業者は抵抗する私たちに言い、テントにも浜にも、実際に来れる仲間は、今は少ない。米国地裁の判決も、IUCN(国際自然保護連合)の勧告も無視して日本政府防衛省は、米軍に提供する基地建設を着々と、予定通りに進めようとしている。やり切れない疲れを覚える。しかし、住民の本当の命の声は、押さえつけられたままで終わることはない。私はそう思っている。
7、2008年2月18日掲載
「続く日常の異変」
2月1日の朝刊は「体調不良494人に」の見出しで、中国製ギョーザによる中毒を報じた。製造者側も輸入者側も食べた人も、心労は大きいと思う。被害者はもっと増えるかも知れない。前日のテレビのニュースでは「人の命にかかわる異変です」とアナウンサーが言うのを聞いた。
それにしても、毎日行われている名護市東海域の大掛かりな脱法事前調査をなぜ異変だと言わないのだろう。何のために誰がこの調査を進めているのかを私たちは知っている。多くの多くの人の命にかかわる異変でしかないと私は思う。昨日も米揚陸艦が辺野古の海に姿を現し、浜で待機していた15台の水陸両用戦車が若い兵たちを乗せて海面を走り、軍艦の腹に入って行く訓練を見た。米軍演習が公示されると機器設置作業は行われないことがある。激しい海上阻止行動をしなくても良くなった日ではあるのだが、私は悲しい。
8、2008.2.28琉球新報掲載
「日本軍は住民を守らなかった 」
2月19日早朝、日本のイージス艦「あたご」が、漁に出る漁船の群れの航行を度外視して、直進し続けた。真二つに切り裂かれて漂う漁船「清徳丸」。漁師の父親と、漁師になって父親と共に働きたい夢を持つ23才の息子が、行方不明のままである。
日本軍は住民を守らなかったという体験は、地上戦から生き残った人々の証言である。友軍ではなかった。集落の自然ガマで難を逃れていた住民たちは、有無を言わさず追い出されている。「決戦場沖縄10万人疎開」の国家計画による引率を命令されて、信者たちから引き離された教会の牧師を知っている。彼は沖縄のその後の悲惨を背負い、筑豊の炭鉱の底に潜って働き続けた。罪責と、人々の解放への痛切な祈りは、後に「復権の塔」建立となった。自衛隊という軍隊は、高額で高度な性能を備えているらしいが、生活者の命を守るための性能ではなかった。今、告発だけに終わるならば、私たちは共犯者なのである。
9、2008.3.16琉球新報掲載
「投書は読まれていた」
どなたかの気持ちに届いて、辺野古に訪ねて来る人が一人でも増えたら嬉しい、そう思って投書に励んでいた。嬉しかった!初めてだという方が友達と連れ立って訪ねて来た。2月27日(水)。私より一回り若い二人の女性。先々月の私の投稿での提案通り「おにぎり」を10個も作って来られた。バナナの葉に包んで蒸したジューシーは実に丁寧なご馳走で、未明から動いていた仲間たちは、分け合って美味しく頂いた。このところ港では、海底設置の機器らしいものが見られない日が続いているが、いつ再開するか分からない。テント村では即応して阻止に飛び出せる支度を、いつでもしている。
こんなに丁寧なおにぎりでなくても、何も持たなくても、来てくれただけでいい、と皆は、新しい参加者を喜んで言った。海に出るメンバーだけでなく、陸に「人がいる」ことが、新基地を許さない「民意の表現」になると私たちは思っている。
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