沖  縄
沖縄―星野、たたかいをひとつに    辺野古派遣を! 

  昨年の12/1星野全国集会で、全国共同代表・平良修牧師が、「星野文昭さんは解放された自由人として生きる権利がある。また、星野さんへの不正義は沖縄にもあり、沖縄は日米安保支配の獄壁で呷吟している」として、星野運動と沖縄のたたかいの一体的取り組みを訴え、辺野古新基地建設阻止現地常駐派遣を星野運動から出してほしいとの提起がありました。

 私たちは、獄中33年の星野文昭さんとの一体的なありかたを運動の中心においています。

 それは、今、辺野古新基地建設阻止を星野運動の課題として取り組むことでもあります。

 ぜひ、みなさんも辺野古に行って阻止行動に参加しませんか。現地での受け入れや資金援助など現地と連絡を取り準備します。
ご希望の方は 事務局までご連絡ください(070-5452-6616)

辺野古派遣カンパを!

当会では、辺野古新基地阻止現地派遣を、今後恒常的に取り組んでいきます。そのためには派遣基金が必要です。ぜひ、カンパご協力ください。
   カンパ送付先
    振替口座 00110−5−155521
    星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議
    「辺野古カンパ」と明記してください

トピックス
平良悦美さんの投稿(琉球新報)より
1、2007年4月11日掲載

「雲霞じゃなく、イナゴの大群のようにでしょう。」辺野古「土曜集会」で仲間が言った。私のような年寄りが何千人も雲霞のように集まれば、基地建設につながる新しい作業を止めることができるのにと言う私への同意である。

配備予告のオスプレイ機は試験飛行で30人が墜落死された。改良したというが、孫たちの上を飛んで欲しくない。事前調査を落札した四業者の名前が公表された。〆て25億7千6百70万円。 雇われて来る作業員と顔をあわせることになる。「あなたを敵とは思っていない。加害者にしたくないのよ」と、また毎日語りかけよう。

日参する人には手当てが出るという噂で、「就職」申し出の人が来た。そうではない。自前で、阻止せざるを得ない思い、と覚悟、のネットワークが実態なのに。ガソリン代が生活費の多くを占めるが、老齢年金で私は通える。家にいて出来る行動もある。非暴力直接抵抗の工夫を大勢で、と切に思う。

2、2007年11月12日掲載

73才「私の住む加害の島」

 朝まだき、星々のまたたきの下、329号線を北に向かって車を走らせながら、今日という日を思う。月が満ち、月が欠け、一日づつ日が進む。カタバルの戦車道と広がる浅瀬の潮の干満の時差を、風波を、確かめながら私は辺野古に走る。殺しの島。それを拒絶し切れないでいる私の住む島。言い逃がれのきかない私たちの加害者性を思いながら走る。

「否」を現すチャンスだと思う。高性能の新基地建設計画。「うみがめ」が困っていると知事が言う。そう、事前作業に雇われている作業船の船長たちよ、プロのダイバーたちよ、作業員たちよ。精一杯怠けて抵抗してくれればいい。後悔で一生苦しむことにならないために。あなたたちの分まで、私たちは必死に邪魔をしているんだよ。皆で一緒に生きて行きたいのだよ。

若い人は忙しい。せめて60才代、退職組が大勢押し寄せるといいなあ。これじゃあ新基地は造れないということになるといいなあと、切に切に思う。

3、2007年11月30日掲載

「何もしない選択」

何もしないという選択肢は大切なことだと思う。「今しないでいつするか」という格言があるが、この言葉は今動けということだけを言っているのではない。私は無理を承知で早朝から気になる辺野古の海に出ている。今行われている事前調査が法的アセスに加えられるというから、すでに新基地建設作業の本番なのである。いであ株式会社の海域生物、生態調査、サンゴ類、海藻類調査が16億の予算で日々行われている。パスコ株式会社の水質、潮流調査が6億の予算で機器設置され進められている。しかしふと彼たちに動きの無い日がある。こんな日私は溜まっている仕事を急いで片付けるのではなく、何もしないで休息することも日程に組もうと決めた。

ところで、防衛省は巧妙に利権をからめて殺人基地建設を実現させようとしている。調査の進展によっては「白紙」しかないと決めることの出来る自由が確約されていなければならないのだがと、私は強く思う

4、2007年12月23日掲載

「寒風吹きすさぶ辺野古」

こんなことでもなければ経験できなかった冬の鉛色の風波と厚い雲の動きの下、吹き渡る風に震える全身をあずける。ああ自然は生きているのだと感動すら覚えて耐える。

機材を設置させない。新基地建設につながる作業を止める。波しぶきを全身に浴び続けながら飛び込み隊はタンクを背負う。私たちカヌー隊メンバーも、素もぐり用にシュノーケルと足ひれをつけ、緊張して作業船の動きに目を凝らす。

ダイバーは何人乗っているか、機材は何がどれだけ積まれているか。どのポイントに来るか。屈強なプロのダイバーたち。頻繁に顔をあわせる。「オバサン、邪魔してもいいけどけがするなよ」と余裕で声をかけてくれたり。

海には出られないけれど何かできることをしたいのだが、と相談を受けることがある。ひとつ思いつくこと。朝食を取れずに来た仲間のために三個ぐらい温かいおにぎりを出航前に握って参加しに来ないかな。曜日を決めてもいい。出航時刻は毎日内緒なのだが。

5、2008年1月27日掲載

「辺野古の海にバッハが流れる」

 辺野古の海にバッハが流れています。

24日の朝刊声の欄で「朝一番にバッハを聴く」浦添の玉城一志さんの投稿を読みました。編集子の胸にも熱く響いたのだと思います。上段の朝一番に読めるところに組まれていました。

 30年も昔、私の上の息子が少年だった頃、バッハに魅せられていてオルガン曲を全曲弾きたいのだと、譜面と録音テープで挑戦していました。毎日の菊栽培の農作業で太くなった指なので不自由しながらでしたが、一曲一万回弾けば何とか曲になるのだと、鼻血を出すほどに打ち込んで独りで弾いていました。先生につけば指の使い方などよい方法が習えたでしょうけれども月謝を出してやれない生活でした。精一杯に生きる者の疲れ、小さくされた者の傷つく感性を持ち続けていれば、光の兆しは響いて来るのだと、今の沖縄を悲しむ中から玉城さんの投稿に共感して、私も書きました。

6、2008年2月14日

「泣き寝入りせず声を上げよう」

2月10日(日)の「金口木舌」は嬉しく私を力づけた。今の沖縄の基地問題を家庭内暴力のやり切れなさにたとえ、「力や立場の強いものが、さまざまな暴力を使って、あるいは使うぞと脅かして、自分より弱いものを意のままに操ろうとする」と定義した辛淑玉さんのコラムを引用しての文章であった。「長く続くと、被害者は気力を失う」と言われるが、しかし「泣き寝入りせずに、声を上げ続けるしかない。」と結んでいる。

「否」を表せる場だと私は決めて、早朝の辺野古通いを始めて5年目になるが、「国も県も容認しているんだよ」と作業者は抵抗する私たちに言い、テントにも浜にも、実際に来れる仲間は、今は少ない。米国地裁の判決も、IUCN(国際自然保護連合)の勧告も無視して日本政府防衛省は、米軍に提供する基地建設を着々と、予定通りに進めようとしている。やり切れない疲れを覚える。しかし、住民の本当の命の声は、押さえつけられたままで終わることはない。私はそう思っている。

7、2008年2月18日掲載

「続く日常の異変」

2月1日の朝刊は「体調不良494人に」の見出しで、中国製ギョーザによる中毒を報じた。製造者側も輸入者側も食べた人も、心労は大きいと思う。被害者はもっと増えるかも知れない。前日のテレビのニュースでは「人の命にかかわる異変です」とアナウンサーが言うのを聞いた。

それにしても、毎日行われている名護市東海域の大掛かりな脱法事前調査をなぜ異変だと言わないのだろう。何のために誰がこの調査を進めているのかを私たちは知っている。多くの多くの人の命にかかわる異変でしかないと私は思う。昨日も米揚陸艦が辺野古の海に姿を現し、浜で待機していた15台の水陸両用戦車が若い兵たちを乗せて海面を走り、軍艦の腹に入って行く訓練を見た。米軍演習が公示されると機器設置作業は行われないことがある。激しい海上阻止行動をしなくても良くなった日ではあるのだが、私は悲しい。

8、2008.2.28琉球新報掲載

「日本軍は住民を守らなかった 」

2月19日早朝、日本のイージス艦「あたご」が、漁に出る漁船の群れの航行を度外視して、直進し続けた。真二つに切り裂かれて漂う漁船「清徳丸」。漁師の父親と、漁師になって父親と共に働きたい夢を持つ23才の息子が、行方不明のままである。

日本軍は住民を守らなかったという体験は、地上戦から生き残った人々の証言である。友軍ではなかった。集落の自然ガマで難を逃れていた住民たちは、有無を言わさず追い出されている。「決戦場沖縄10万人疎開」の国家計画による引率を命令されて、信者たちから引き離された教会の牧師を知っている。彼は沖縄のその後の悲惨を背負い、筑豊の炭鉱の底に潜って働き続けた。罪責と、人々の解放への痛切な祈りは、後に「復権の塔」建立となった。自衛隊という軍隊は、高額で高度な性能を備えているらしいが、生活者の命を守るための性能ではなかった。今、告発だけに終わるならば、私たちは共犯者なのである。

9、2008.3.16琉球新報掲載

「投書は読まれていた」

どなたかの気持ちに届いて、辺野古に訪ねて来る人が一人でも増えたら嬉しい、そう思って投書に励んでいた。嬉しかった!初めてだという方が友達と連れ立って訪ねて来た。2月27日(水)。私より一回り若い二人の女性。先々月の私の投稿での提案通り「おにぎり」を10個も作って来られた。バナナの葉に包んで蒸したジューシーは実に丁寧なご馳走で、未明から動いていた仲間たちは、分け合って美味しく頂いた。このところ港では、海底設置の機器らしいものが見られない日が続いているが、いつ再開するか分からない。テント村では即応して阻止に飛び出せる支度を、いつでもしている。

こんなに丁寧なおにぎりでなくても、何も持たなくても、来てくれただけでいい、と皆は、新しい参加者を喜んで言った。海に出るメンバーだけでなく、陸に「人がいる」ことが、新基地を許さない「民意の表現」になると私たちは思っている。

3・16イラク反戦世界一斉行動in沖縄
3・16イラク反戦世界一斉行動in沖縄に参加しまた  栄野川盛正

3月20日は、米国によるイラク戦争が開始されて5年目ということで、新聞やテレビでも一日中取り扱われています。アメリカでのイラク反戦集会があちこちで行われていることを、テレビでも伝えています。 那覇でも日本各地やソウル、シドニーと同じ日の3月16日、沖縄県庁前の県民広場で、午後4時から行われました。集会終了後は国際通りをピースウオークしました。

 今年の集会の実行委員会は合同労組の若い人たちが中心になって行い、百万人署名運動・沖縄の会や沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会も参加呼びかけ、宣伝などに協力して取り組みました。
 若い人たちが前面に出て行った集会内容でした。発言も新しい芽生えを感じさせて、現場の生の声が県民広場から発せられ、新鮮に感じられました。

 基調報告は、国がイラク戦争へ協力する一方で、労働者はワーキングプアーと呼ばれる生きていけない状態に叩き込まれている現実を訴え、道行く労働者・市民も巻き込んだ、まさに、青空学習会でした。これを聞けた人たちは幸運だったはずだし、もっと多くの人たちにも聞いてもらいたかった。集会前段のコンサートも素晴らしいものでした。出演者の心意気にありがとう。

 ボブデイランの「風に吹かれて」の邦訳も、デイランが当時伝えたかっただろうイメージと今の沖縄で繰り返される暴行事件等にいらだつ我ら沖縄がつながっています。

 ピースウォークは、戦争やめろの訴えに国際通りの人たちの注目がすごかったです。

 梼ハ真は、沖縄3・16集会で、星野さんのポスターを掲げて発言する知花昌一さん(読谷村議、沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会代表)

2006.7.8札幌クリスチャンセンターin星野全国総会 共同代表平良修さんの講演
星野文昭さんは、今、辺野古の具体的なああいう状況を予期したわけではないでしょうが、しかし、沖縄のああいう内容の返還協定からこのようなことになるよと警告はしていたのです。ですから、基本的には警告どおりになってしまっているという悲しい事実を私たちは今見せ付けられているわけです。

 国際労働機関のILOという団体がありますが、その団体に所属する沖縄グループが出した「先住民族とは何か」の定義があります。その定義を読みます。「先住民族とは、独自の文化と言語を持ち、歴史を育んできたにもかかわらず、近代国家によって植民地化され、同化政策を強要され、土地と文化と言語を奪われた差別的状況に置かれている、民族としての意思を表し得る民族的集団」。

 皆さん、この定義は、どこの誰に該当すると思いますか。沖縄そのものではありませんか。私は、沖縄は日本の植民地であると、はっきりそう言わなければならないと思います。
だから、沖縄から日本が見えるということがありますが、日本は植民地を持っている国なんだという現実が見えるということだと思います。この現実を見なければ、日本の全体像は誤った見方でしかないと、私はそう思います。

 ご承知のように沖縄はかつては琉球王国でした。その琉球王国が1879年に日本国によって滅ぼされました。そして、沖縄県になったのです。それを第一次琉球処分と言います。この琉球処分という言い方は日本政府が言い出したことなんです。私は、第二次琉球処分というものがそれに続くと考えています。1945年の沖縄戦のことを指します。沖縄では10万の日本軍が従軍しました。沖縄守備軍という名前で呼んでいるんですが、沖縄守備軍というのは真っ赤な嘘です。彼らが沖縄に10万という兵力を入れたのは,沖縄を守備するためではありません。「本土」と天皇制護持のための時間稼ぎとしての捨て石作戦を行なうための軍隊に過ぎなかったのです。それが沖縄戦です。ですから、これを私たちは第二次琉球処分と言うわけであります。

 戦後、太平洋戦争終結後、日本全体が沖縄を含めて米軍の支配下に置かれました。1952年、つまり、敗戦から7年経った時に、日本はアメリカと講和条約を結んで独立を回復しました。その時に沖縄を継続して米軍の統治下に預けるという条件をつけたのであります。そのことを私たちは第三次琉球処分と言います。1952年の4月28日に、そのように決まったんです。沖縄では4月28日を屈辱の日と呼んだのです。そして、それから20年、沖縄は米軍の統治下に置かれ続けてまいりました。そしてついに、1972年に沖縄の日本復帰が実現いたしました。

 この沖縄の日本復帰が起こるときに、星野さんの決起があったわけです。それはどのような復帰であったかと言うと、日米安保体制の要として集中的に米軍基地を押しつけ続ける、そういった内容の日本復帰でありました。何故、そのような琉球処分と言われるような事柄が後を絶たないのか。つまり、沖縄は日本の植民地だからです。

植民地は大事にされません。むしろ、搾取の対象です。国益に、利用するための存在です。このような米軍統治下の20年間、沖縄は非常に苦しみました。せめて、何とかしてこの苦しみを日本の国会に訴えたいと切に願ったのです。日本政府に対して国会議員を沖縄から送らせて欲しいと何度となく要請したのです。その時、日本政府は日本の統治権の及ばない地域であるから国会議員の選出はできませんと、その都度断ってきました。ところが、ある時突然、日本政府は国会議員の選挙を認めます、選んでくださいと言ったんです。いつだったと思いますか。1970年です。72年はいわゆる日本復帰です。つまり、日本復帰、沖縄の返還協定というものが審議され批准される国会には沖縄選出の国会議員がちゃんといましたよということの形作りなんです。沖縄の人が全く知らないところで決めたことではありませんというポーズですよ。

 私は本当に腹が立ちました。どこまで、沖縄を愚弄するのか。私は選挙をボイコットするよう叫びました。ある人は言いました。そのようなあくどいことをする日本政府であるからこそ、国会に物を言う代表を送るべきだと、ボイコットすべきではないと私は逆に批判されましたが、全く納得できませんでした。そして、批准が行なわれて、沖縄の日本復帰が実現したわけであります。
 沖縄の施政権返還についての日本政府とその頃の琉球政府の立場があります。まず、日本政府の立場はこうでした。第一点は、沖縄の施政権返還によって本土との一体化を図る。しかし、返還の協定にまつわる隠された密約が色々あったということが暴露されていますね。つまり、完全に本土との一体化を内容とするものではないということですね。例えば、日本は非核三原則を持っているとされていますが、いざという時には沖縄に核兵器の再持ち込みを日本政府は承認するという密約も入っていたんです。どこが本土との一体化か。やっぱり、特別扱いの密約が行なわれている。二つ目は、本土との格差是正をするということが日本政府の言い分でした。大変な格差が生じていますからね。しかし、格差の是正はされたのでしょうか。沖縄県民の一人当たりの所得は全国平均の今でも7割程度でしかありません。格差是正はされていません。三つ目に、日本政府の立場は、安保体制の要にある沖縄米軍基地の維持・管理です。これは100パーセント実施されています。このような日本政府の基本的な立場に対して、琉球政府の立場は一、反戦平和の理念を根幹とする。二番目に基地の撤去。三番目に基本的人権の確立。四番目に自衛隊の沖縄配備反対。五番目に自治権の確立。六番目に県民本位の経済開発。こういうことが沖縄の立場でした。しかし、これはことごとく裏切られています。

 反戦平和の理念を根幹とする平和憲法への復帰ということはされませんでした。熱願したんですよ。渇望したんですよ。しかし、そうはならなかったことは明らかです。憲法9条は風前の灯火。私達が全く想像もしない、我々の思いに反することが現実となってきています。基地撤去、とんでもない。普天間基地が返還されて、代りに辺野古に縮小する形で基地が作られるということになりました。あれは、アメリカ政府が11の基地について返還・縮小するという案の中の一つとして、普天間基地の閉鎖があったんです。11の案件を完全に実施しても75パーセントにも及ぶ沖縄への米軍専用基地の集中は70パーセントにしか減らないのです。5パーセント減るだけです。ですから、基地撤去どころの話ではありません。基本的人権の確立を琉球政府は要求しました。米軍統治下のまさに人権無視の生活を余儀なくされていたんです。そして、それを求めて基本的人権を標榜している日本国民の憲法のもとに帰ることを願ったわけですが実際に、先ほど言ったように植民地支配が続いています。植民地支配には人権尊重はありません。
 自衛隊の沖縄配備反対。沖縄の自衛隊は最初は混成団だったのが、旅団に強化されています。
 自治権の確立を要求しました。高等弁務官の下では我々の自治は神話であると笑われました。しかし、日本政府の沖縄に対する政治は、日米安保体制を強化するためには、沖縄の自治をどこまでも狭めていく、法律を変えてでもやっていくということです。
 県民本位の経済開発。沖縄に投入された大きな資本は「本土」のゼネコンにごっそりと持っていかれました。その当時の琉球政府の主席、今の県知事ですね、屋良朝苗氏は、琉球政府の立場を表した建議書を書いて、国会に届けるために羽田空港に着いたんです。羽田空港に到着した多分その頃に、国会では沖縄返還協定の批准を強行採決したんです。ですから、屋良主席の建議書は幻の建議書に終わってしまったのです。
 というわけで、日本政府の立場だけが生かされて、私たちの立場は全く封殺されるような内容で沖縄県というものが復活させられたということです。ですから、今年、2006年は1972年に起こった施政権返還という名前の第四次琉球処分から数えて34年目ということになります。私はそのように2006年という年を意味付けしています。

 琉球処分というのは過去の話ではないんです。今も続いているんです。日本全国の人口は1億3千万人です。沖縄は130万人で、丁度、1パーセントです。ですから、よく言われるように、日本を100人の村に例えるならば、沖縄に住んでいるのは1人ということになります。99人でもって、米軍の25パーセントの基地しか負担していない。沖縄は1人でもって75パーセントを負担させられているというのはどう考えてもおかしいじゃないですか。

 最近、麻生外務大臣がこんなことを言いました。沖縄に基地が集中しているのは地政学的な理由で、アメリカ側の強い要求に基づくものだと、差別しているわけではない。最近の発言ですよ。地政学的に沖縄が適当な軍事的な場所であるということはかなり論破されていると思いますが、仮に、地政学的に沖縄が軍事基地を置くのに適当な場所であり、そして、日本に圧倒的な強い圧力を発揮するアメリカ側の要求によるものだとしてもですよ、それを敢えてしないということが沖縄に対する国家的誠実というものではないですか。そういうことができないということは即ち、沖縄差別なんです。

 今の米軍再編もこの沖縄差別を中軸にして成り立つものに他なりません。普天間を県外に、つまり、「本土」ではなく、あくまでも沖縄県内、辺野古に移設するという日本政府の政策はその根底に抜きがたい沖縄差別があると私は断言してやみません。海兵隊8、000名を沖縄からグアムに移すということを沖縄の負担軽減という。それを強く宣伝しながらも実は、中国の脅威に対応するための計画に過ぎない。沖縄の負担軽減は主目的ではないのです。沖縄を米軍再編の中核として位置づけることには変わりはありません。米軍再編は植民地的基地支配の実態を本土から見えないように沖縄に隠しておきながら、実際は同時に、日本全体の軍事化推進に他なりません。本当に日本全体の沖縄化であると私たちは激しく警戒しなければならないと思います。

 文昭さんの決起のことですが、昨日のレポートの中で、東京南部の会の準備会の方がおっしゃっていました。亡くなったお父さんの星野三郎さんが沖縄民権の会に来られて、沖縄のために息子はこんなに頑張って苦労しているのに、沖縄の人たちは支援しないのかと言って、激しく迫られたということをおっしゃっていました。文昭さんは渋谷行動によって、自分の国によって植民地化され、圧制の犠牲になっている沖縄を救おうとした。それを私たちは高く評価するし、また、深く感謝しています。同時に、文昭さんはそういう沖縄を抱え込むことでもって起こる日本全体の悪しき沖縄化への抵抗、それは当然、ありました。
 日本復帰という沖縄の人たちの悲願をかなえてあげようというポーズをとりながら、実は、日米安保体制強化を狙っての沖縄の施政権返還であったことは確かなことです。そのことを文昭さんは見ていたということですね。沖縄はこれではたまらない、日本全体が危険にさらされる、そういう危機感を彼は持ったんですね。

 私は同時に文昭さんの行動というのは、沖縄を植民地支配している日本の一員として、自分自身を打ちたたく,自己告発の行動。沖縄への謝罪の行動ではなかったかと思うんです。大江健三郎さんが繰り返し繰り返し言っている、そのような日本人ではない日本人にならねばならない、まさにそのような思いを文昭さんは持ったと思うんです。自分はそのような日本人であってはならないのだという自己告発です。
 私たちは全国あげて星野さんを救援しようという活動を行なっています。先駆的な正当な行為であったにもかかわらず、現在押付けられて31年の苦しみの中にある星野個人を救出する行動であります。その冤罪からの人間救出ということを私たちはもっと強調すべきではないかと昨日から私は発言しているわけであります。と同時にそれは、安全保障にかかわる政府の基本方針に真っ向からたてつく者、非国民は許さないとする国家権力、そういう者と組んで行動を共にする者たちを許さないとする国家権力への私たちの正当な抵抗であると確信しています。
 更にそれは、沖縄の植民地状況に甘んじてしまいかねない日本人としての自己告発の行為でもなければならないはずです。
 脱基地、脱植民地支配。沖縄は人間としての尊厳を顕現化するたたかいを闘っているのです。先ほどのビデオに出てくる様子はまさにそれです。それは輝かしい闘いではあります。けれども苦しい闘いです。

 今度、日米両政府が提起した沿岸案。もっと厳しい闘いになることは火を見るより明らかであります。陸上部は、入っていったらたちまちパクられてしまいます。海上部分もこれまでよりずっと規制がきびしくなるでしょう。日本政府は前の案が潰されたことでもってアメリカ政府に対してマイナスの負い目があります。今度は政府は是が非でも実現させると覚悟しているに違いありません。その覚悟の日米両政府・国家権力に対してどのような阻止行動が展開できるか。今年中に計画書ができるようです。それを見て、辺野古は阻止行動の戦術を立てようとしています。これまで以上に苦しい闘いだということは明らかです。

 星野さんを救援しようとする運動は、そのように沖縄が自己解放をしようとしていることへ相呼応するもの以外のものではありえない。私たちは、自分らがやっている行動を正しく思想化し、そして、誇りをもって総会の場から闘いに再び立ち上がっていく、そういうことでなければならないと思います。以上、沖縄からの報告でした。有難うございました。

不当逮捕に怒り、心配して下さった皆様へ 平良 夏芽
9月25日午前9時55分の名護署による不当逮捕によって身柄を拘束されていた平良夏芽です。長い拘留を覚悟していたのですが、全国・全世界の皆様からの激しい抗議が功を奏したのでしょう。昨日(27日)午後1時に釈放されました。二日半の拘留でした。

車に衝突した時に多少の傷は負いましたが、擦り傷・打ち身の程度ですでに回復しつつあります。疲労と断食で体重は3キロほど減りましたが良いダイエットになったと思っています。私は非常に元気です。

検察は、処分保留という判断をしました。私に足かせをつけたつもりなのだと思います。しかし、私を含めた仲間たちは、このことで弱っていません。今後は、さらに激しい弾圧が待っていると思います。それでも負けるわけにはいかないのです。私たちが負けるということは、基地が建設され、そこから発進する軍隊によって多くの人々が殺されるということなのです。

 私たちは、人殺しに繋がる基地建設は絶対に止めなければならないと決意しております。今回問題になっているキャンプ・シュワブ内の文化財遺跡調査は、防衛庁主導のもので最終的には文化財を破壊し埋め立てることを前提とした調査です。私たちは、このような調査を認めず、文化庁主導の文化財を保護するための調査を求めているのです。基地建設に繋がるすべてのことは、止めなければなりません。海の上で止めてきたように、陸の上でも止めなければならないのです。名護署の警察官には、「あなた達が県民を守る覚悟をしない限り、今後、名護署は良心囚でいっぱいになるでしょう」と 伝えてきました。 今回の逮捕によって、私を非難する人もいます。しかし、その数をはるかに上回る人々が支持と連帯の挨拶を届けて下さいました。辺野古の闘いが、本当に多くの方々に支えられていることを改めて体感することができました。 皆様の敏速な動きに、深く感謝申し上げます。檻の中での生活をわずかでも経験すると、ともすると卑屈になって、皆様に謝罪しなければならないという気持ちも湧いてきてしまうのですが謝罪はいたしません。謝罪すべきは名護署でw)「△蝓・霖老レ澆魘・圓靴茲Δ箸垢訐ホ呂世反・犬襪・蕕任后・・・凾タしかし、動いて下さった皆様には、深く頭を垂れて感謝をしたいと思います。ありがとうございました。今後とも、連帯をよろしくお願いいたします。 2006年9月28日

危機感をもって「2006年」を

 自民党憲法草案を読み、まずその前文に愕然としました。現憲法の前文にある「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」がそっくり抜けているのです。いや、抜いたのです。戦争を始めるのはいつも国家権力としての政府ですから、その危険な可能性を封じ込める意志の表現であったと思いますが、自民党政府は国民に糾弾されないように責任逃れの態勢を立てようとしているのです。「備え」ておけば「憂い」はないというわけです。
 30年前日本政府は「憂い」を生じさせないように、ある「備え」をしました。星野さんを排除、無力化しようとしたことがそれです。沖縄を国益の犠牲にし続けてはばからない日本政府を糾弾し、その悪政を阻止しようとする良心の行使は、国益に反する非国民的行為に映ったのです。日米軍事体制を最高最善の政策と信じて止まない日本政府にとって、星野さんの沖縄との共生の思想と行為は何としてでも息の根を止めずにはいられない「悪」だったのです。しかし権力の思いとは逆に、今の日本では政府の喜ばない非国民こそが本当は無くてはならない国民なのだということを星野さんの存在は示しています。そういう人を獄窓に閉じ込めておけば日本にはいい未来は無いと知るべきです。ということは、そういう人を獄窓から解放できずにいる大衆運動にも明るい未来はないということです。
 「2006年」…言うまでもなくキリスト降誕の時から数えての2006年目ということです。人間を呪縛しているあらゆる悪魔的力からの解放者として、キリストは降誕しました。星野さんを閉じ込め、小さくし、無力化している徳島刑務所の現実は、「2006年」の究極の意味に反します。「2006年」をそのような年として迎え過ぎ去らせることは許されません。全国13箇所に拡充された救援力は完全爆発を見せなければなりません。
 大阪での「星野文昭さんに自由を!全国集会」は私たちを勇気付けました。実行委員の方々に心から感謝します。村井俊邦さんの講演「無期刑と仮釈放」は私たちの学習課題を正しく指摘してくれました。徳島駅前での署名活動、家族の星野さん面会、それぞれ欠くことのできない救命の行動でした。徳島、高松での刑務所長と四国地方更生保護委員会への星野解放への迫りは画期的でした。神山森林公園からのラブコールは獄壁を貫いて星野さんに届いています。琴線に強く触れた星野奪還コンサートは12回目とか。硬軟取り混ぜたいい行動であったと思います。
 法廷闘争が弁護団の着実な努力によってパワーアップしていることは最重要なことだし、嬉しいことです。運動の主軸である弁護団との全国救援組織の強力な並走、バックアップがいよいよ不可欠です。今年は救援活動が最高裁の段階に入ってから3年目。「最高裁」です。もう後はありません。危機感をもってその現実をもっと生々しく意識しましょう。そして動きましょう。例えば十万人署名をなかなか達成できずに
いることについて私たちは厳しく問われています。慢性的資金不足しかり。もっともっと本気に動きましょう。
2006年共同代表新年アピール 平良 修
 全国のみなさん、明けましておめでとうございます。
 10月30日、那覇市新都心の銘刈庁舎内の那覇女性センターを会場に、第21回うないフェスティバルが行われました。原稿が遅れてしまったため、新年号掲載となりました。 
 「うない」とは、1985年に女性が中心となり、「人権、環境、福祉、子ども・・・のネットワークを広げる」ことを目的として始まったものです。那覇市が市民運動をバックアップするという画期的な試みで、「うない」という名と共に全国に広がっていきました。
 今年は、翁長那覇市が財政難を理由に助成金の廃止を打ち出してきました。しかし、ここで引き下がっては社会的弱者の切りすてを許すことになるとして、那覇市と交渉の末に10万円の支出を認めさせました。

 沖縄星野さんを取り戻す会は、今年で5回目の参加となります。今では「うない」の人権テーマを代表する団体として認められ、今年は、備委員会の事務局員をも出しながら「うないフェスティバル」全体の成功に責任をとることになりました。
 割り当てられたブースでは、昨年に続いて星野さんの原画展を行いました。たくさんの人たちに星野さんの原画を見てもらい、10万人署名にご協力をいただきました。ありがとうございました。
 星野さんの原画は大きな反響を呼びました。とくに自画像は、獄中30年というもがどのようなものか、その風雪の厳しさや、怒りや悔しさの深さが、見ている私たちに直接伝わって来るようです。星野さんの自画像と略歴を食い入るように見つめている女性がいました。誰かと思えば歴代の事務局長をされていたOさんでした。獄中30年と沖縄の30年とだぶらせながら、目に涙をためながら思いを語ってくれました。

この日は、米軍再編に反対する第一波の県民大会の日です。「うない」参加のほとんどのグループが県民大会参加のグループで、終了の時刻を待たずに、そわそわと店じまいをし始めます。私たちも、代表一人を残して県民大会の準備に入りました。
 県民大会では、結集してくる人に千五百枚のビラを撒きました。会場の与儀公園には、雨の中を引きも切らずに人が集まり、立錐の余地がないほどの結集です。1972年の5・15も雨でしたが、その雨は「沖縄が泣いている」と形容されたことを思い出します。33年前の5・15に再び引き戻されたような気がします。星野さんたちが立ち上がったあの時代です。

 いま、当時の危機感が現実のものとなりつつあります。辺野古での基地建設が強行されるだけでなく、嘉手納基地以南の基地を「返還」という名目で大浦湾に集中し、辺野古=大浦湾一体を軍事要塞にする計画です。そのために、公有水面埋め立ての知事権限を剥奪する沖縄差別立法である特措法を作ろうとしています。沖縄は憲法のらち外、沖縄はあくまで基地と戦争の犠牲になれ、それを強権発動としてやるというのです。

 いま沖縄では、「沖縄人は人間扱いされないのか!」という怒り一色に染め上げられ、「島ぐるみ闘争」が口々に語られています。じつに県民の97パーセントが反対しています。これを許せば、あの60年前の「捨て石」同様、再び沖縄が戦場の中に投げ込まれることになります。こうなったら自らの生存をかけて闘うしかありません。
 私たちのスローガンは、「沖縄万人の力で無実の星野さんに自由を!」ですが、なんとしてもこの島ぐるみ闘争の力で星野さんを取り戻したい。それを年頭の抱負とします。

うないフェスティバル
うないフェスティバル1
うないフェスティバル2