家族からの訴え
星野修三さん
札幌に帰って3年になります。絵画展に取り組んで、札幌の他に室蘭でもできるようになりました。これに、昔の知り合いも参加してくれるようになりました。全国でもそうですが、北海道でも、まだまだ文昭のことは知られていません。来年は、絵画展という形で
もっと広げていきたいと考えています。全国での絵画展もよろしくお願いします。
渡辺ゆかりさん
暁子さんと一緒に韓国に行ってきました。本当に感動的でした。ものすごい人がぎゅっと詰まっていて、「あぁ、こうやって変えられるんだ。文昭さんが言っている人間が人間らしく生きられる社会はこうやってつくるんだ」と感じました。
ものすごいパワーをもらって、私たちにもできるんだと思いました。これからもガンガンやって行きます。
星野誉夫さん
木曜、金曜日と、暁子さんと一緒に面会してきました。文昭君は非常に元気です。しかし70歳になったので、やはり健康問題が心配です。
皆さんや暁子さんは、階級的な労働運動の力で釈放をかちとることを目指して闘っておられます。文昭君は、救援運動と労働運動の提携によって運動が拡大しており、再審によって出ることを願っています。しかし、難しい状況です。
私としては仮釈放の可能性も考えています。受刑開始から30年たつと、更生保護委員会が必ず審理することになっています。面会の時に、家族4人の名前で請願書を出しました。今の情勢の中で合わせて考えていきたいと思っています。
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星野暁子さん発言
11月21日から25日まで4回面会してきました。
21日は、12日の韓国の200万人が集まった状況を、写真を見せながら伝えました。
13日に拘束労働者後援会の事務所を訪ね、事務局長のペミヨンさん、お姉さんのペウニョンさん、運営委員のキムヨンウンさんにお会いしたことを伝えました。暖房も冷房もなく、30年間手を握ることもできない日本の刑務所の実情を伝えると、驚かれました。日本に毎年来ているキムヨンウンさんは「自分の知っている日本と違う。日本の刑務所はまるで戦前のようだ」と言っていたことも伝えました。韓国では、年1回は障壁のないところで家族面会をし、一泊できるそうです。
拘束労働者後援会の『世界の外へ』という機関紙に星野の特集を組むこと、韓国の政治犯に年賀状を送ることを報告しました。
9月4日、私たちは徳島刑務所包囲デモに430人で立ちあがりました。私は、「必ず、必ず、必ず、取り戻すからね。あともう一息だから、元気で頑張ろうね」と呼びかけました。翌日の面会で文昭は「聞こえたよ。獄壁はない」と言いました。
2017年に身柄の解放を
『星野新聞』の月2回発行は、豊かな紙面づくりによって、労働組合を中軸にして、労働者民衆が星野闘争の担い手になり、運動が拡大していく武器になっています。
絵画展は、去年から今年にかけて139カ所で開催され、2万人を越える人々が参加しています。なぜ獄中でこんなに明るく温かい絵が描けるんですかと驚きと感動を伝えてくれます。
文昭の絵に「暁子と会話する場所」というのがあります。小さな机に画用紙、パレット、筆などが置かれています。奪われたものを奪い返す闘いを、文昭は必死にやっています。その闘いが絵を通して、みんなに伝わるようになったということだと思います。
戦争と革命の情勢の中、飛躍した力によって、2017年、身柄の解放をかちとるために勝負をかけるということだと思います。
星野文昭42年の獄中闘争は、動労千葉、動労水戸の闘い、そしてあらゆる職場での闘いと一体のものとしてあります。団結にすべてをかけて闘う星野と共に闘い、勝利しましょう。 |