無実の星野さんを救おう  
4月10日、徳島刑務所請願行動

1,面会と請願行動
4月10日、星野暁子さんと」星のつどい・豊中」のお二人が、星野文昭さんと面会しました。
その後、6団体、10名による請願・申し入れ行動をおこないましたので報告します。

  請願内容は、
(1)星野文昭の個別処遇 (絵画クラブへの復帰、面会の時絵を見せることの許可、手紙のカットの許可、仮釈放、立会い・アクリル板なしの家族面会)
(2)徳島刑務所の懲罰を乱発する処遇の改善 
(3)医療虐待について責任ある対応(松岡医師の更迭、受刑者への謝罪、医療虐待があったことを認めよ。外部の医師に見せよ。医療と保安の分離等)です。
 翌日の暁子さんの面会では、事件の後禁じられていたのですが、宅下げされた星野さんの絵を面会室に持ち込み絵について話しあうことが許可になりました。申し入れの成果です。

2,徳島刑務所の医療問題について
松岡医師の異動後、新たな医師が補充されておらず一人体制のため、受刑者は病気であってもすぐ診てもらえず、待機していなければいけない状態だということでした。

 3月29日付けで発表された法務省矯正局の見解は、「適正な医療の範囲であって、虐待とまでは言えない。直腸指診をする時、本人の承諾を得ていないなど、問題はあった」というもののようです。東京新聞では、「適正な医療範囲」、徳島新聞では、「問題を認めた」と報道されました。いずれにしても、進行している「告訴」対策として、責任逃れができるような曖昧な見解であることは、明らかなようです。

 全国の刑務所の格差づくり、LB刑務所の厳罰化等、法務省方針が突出する中で起きたのが、徳島刑務所の医療虐待問題です。その解決のためには、法務省への働きかけ、社会問題化など、継続した取り組みが必要です。

3,記者会見
 暁子さんと豊中の女性を中心に記者会見をしました。暁子さんからは「今回の申し入れは、徳島刑務所の医療虐待、厳罰主義への初めての申し入れであること、家族が申し入れることで、文昭に「害」が及んではならないと思い悩んだが、このままアブグレイブ刑務所と同じ受刑者への性虐待許していては、文昭の人権も守れないと思い、申し入れと記者会見に踏み切った」と話しました。

 この様子は「徳島新聞」「朝日新聞」に掲載され、四国放送の夕方のニュースで放映されました。


星野さんは無実です。
 1971年11月14日、沖縄返還協定批准阻止のデモに参加した星野文昭さんは、デモ隊と機動隊の衝突の中で、一人の警察官の死に対して「殺人罪」をデッチあげられ、無期懲役刑の判決を下されました。裁判所は何一つ物的証拠もないにもかかわらず、また全く真実に迫ろうとする態度を見せないまま、過酷な判決を星野さんに下したのです。無実であるにもかかわらず、国家権力の政治的敵意によって、星野さんは報復を受けたのです。
 逮捕以来獄中20年余を経て、1996年4月17日、星野さんは屈することなく、再審請求書を、東京高等裁判所に提出し、自分の無実を証し、正しい裁判をもう一度開かせるための一歩を踏み出しました。
 昔、戦争に反対した人々が牢に満ちたことがありました。私たちは現在もなお同じことが国家によって行われているというこの事実を、眼を反らすことなく見つめなければならないと思います。戦争に反対して30年以上もの間獄に囚われ続けている星野文昭さんを、一刻も早く取り戻すために、多くの方々のお力添えを心よりお願いする次第です。

・・・私はやっていない。
  私は一審以来一貫して主張してきたように、中村巡査を殴打していないし、中村巡査への火炎瓶投てきの指示を一切していない。
 このことを私は、私の良心と、人間としての全存在にかけて、一転の曇りもなく言い切ることが出来る。
 何ものによっても覆すことのできない、真実なのだ。
 確定判決が、私が中村巡査を殴打し、さらに私が火炎瓶投てきを指示したと認定したことは、百パーセント事実に反する。
 この誤った事実認定による無期懲役の判決を、私は断じて受け入れるわけにはいかない。
 事実でない、やっていない、無実なのに、無期懲役を強いられる。一体、こんな理不尽なことがあるだろうか。こんな不当なことがあるだろうか。
 人間として当たり前の生活、人生そのもの、自由そのものを根本から奪われ、家族や友人や社会から獄壁で隔絶され、それも二度と自由の大地で妻・家族や友人たちと手を握り、抱きしめ合うことさえ許されないまま、監獄ゆえに様々な形で人間としての存在も尊厳も踏みにじられ、心身の健康が侵され、そうしてやがて獄で朽ち果てるまで死ぬまで服役生活を強いられる。人間としての一生が踏みにじられる、これが私が確定判決によって強いられている無期懲役の現実であり、未来である。
 それも、やっていないのに、無実なのにだ。
 人間として、一体これほどの無念があるだろうか。世の中に、これほどの理不尽があるだろうか。
 無実なのに、真実を追求することに徹すれば、おのずとそのことが明らかなのに、殺人罪によって逮捕・起訴されたときの驚きと怒りと憤りは、いまも胸に湧き起こってくる。
 そして、一審において、無実であるにもかかわらず、また、公判廷において真実のみに迫ることに徹すれば、おのずと私の無実が明らかなのに、死刑の求刑を受け、懲役二十年の判決を受けたときの驚き、怒りと憤り、無念は、今も、激しく胸に湧き起こってくる。
さらに、二審において、無実であるにもかかわらず、公判廷において真実のみに迫り、事実を事実として認定すれば、私の無実が明らかなのに、私の現在を決定づけた無期懲役の判決(確定判決)が下されたときの、そのあまりの理不尽、不当への血の逆流するような怒りと思いを私は決して忘れることは出来ない。それは、日々、新たに激しく胸に湧き起こる。
 そして、無実であるのに、真実そのものが踏みにじられて上告が棄却された。
 これによって私は、無実であるにもかかわらず、人間として自由に生きることの全てを根本から奪われ、無期懲役の執行を日々強いられているのだ。
 無実であるのに、一生獄壁の中に閉じ込められ、人間として自由に生きることの全てを根本から奪われ、人間としてのもっとも根本的な屈辱を強いられ、心身の健康をも奪う獄中で死を強いられる。この、人間の怒りとくやしさ、無念と憤り、そして、この中で日々生きること、なお、人間として生き抜こうとすることの辛苦、困苦は、これを経験した者のみが知ることだろう。
 無実の者が、無期懲役をこのように強いられる理不尽さは、(私だけでなく全ての)人間が人間として、人間らしく当たり前に生きるという現在と未来を根本から踏みにじり、奪うものとして、全てを奪い、生きる意志さえ奪うほどのものである。
 私から全てを奪うだけではない。私が愛し、私を愛するかけがえのない家族の生きる希望と、全てを奪うものだ。
 このような理不尽は、一日として許されることではないのだ。
 無実の私が、無期懲役を強いられているというこの辛苦、困苦をのりこえてこられたのは、この理不尽への怒りと、当事者としてこの理不尽を絶対に覆すことの責務と、そして何よりも、真実は必ず勝つ、真実と「人間が人間である限り、人間が、全ての人間が人間らしく当たり前に生きる未来を築き、つくっていく」という正義が、必ず、全ての人々を獲得し、いかなる虚偽も、理不尽も、暴虐も覆し、世界を、未来を獲得する力になるという確信である。  ・・・・・ 
「星野文昭 陳述書より」
星野文昭さんはこんな人です
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星野文昭さんの歩み
1946.4.27  札幌市に生まれる  

1961.4 道立月寒高校入学、翌年、生徒会長をつとめる

1966.4 高崎経済大学入学、不正入試阻止闘争に参加
    (記録映画「圧殺の杜」に登場)し、不当処分

1967 同大学第7期代議員会議長就任

1969 同大学再建自治会執行委員会副委員長就任

1971春 成田国際空港反対闘争支援のため千葉県三里塚に常駐
    7月、9月の闘争で指名手配を受ける

1971.11.14 沖縄返還協定批准阻止闘争(渋谷闘争)に参加
1名の機動隊員がデモ隊との衝突で火傷死(渋谷事件)

1972.2.21 渋谷事件で殺人罪指名手配を受ける

1975.8.6 不当逮捕

1979.2.13 死刑求刑、死刑阻止12万署名集まる
  8.21 一審判決懲役20年 

1981.7 東京拘置所移監、4次にわたる懲罰

1983.7.13 二審判決、無期懲役刑

1986.9.17 暁子さんと獄中結婚

1987.7.17 上告棄却・無期懲役刑確定
10.30 徳島刑務所移監

1990.9.27 父・三郎さん逝去

1996.4.17 再審請求
   8 「ゴキブリを踏んだ足を洗った」として20日間の懲罰
     3級から4級に降級(1997.1に復帰)

1999.9.3 東京高裁求意見書
   10.25 意見書提出

2000.2.22 棄却決定
   2.24 異議申立
   9,26 補充書1提出
   12.27 補充書2提出

2003.12.22 補充書3提出

2004.1.19 異議申立棄却
   2.2 級進級(家族との週一回の面会と信書)
   2.23 特別抗告

2004.9.28 特別抗告理由書提出
   11.25 第一回最高裁要請行動

2005.2.2 第二回最高裁要請行動

   10.19 第三回最高裁要請行動
   11.13 全国集会in大阪
   11.14 徳島刑務所、四国地方更生保護委員会要請行動

2006.1.17 徳島県弁護士会人権擁護委員会へ人権救済申立
      (星野さんの外部交通権に関した受信の自由)
   2/15  第四回最高裁要請行動

   5.24 立会人なし弁護団面会を勝ち取る
   6.6 22年振りの友人面会を勝ち取る
     ●以降、月3回面会の内、基本的に1回を友人面会にあてる
      また、受信が基本的に自由になった(発信は制限)ので、
      外から直接に手紙が出せるようになる。400通以上が
      来ている)
6.14 第5回最高裁要請行動
   7.7-8 全国集会in北海道
   7.12 徳島県弁護士会仁賢擁護委員会「警告」決定