更生保護委へ第13 回申し入れ
星野さん解放かけ3月決戦
要望書は1133通(累計16、951通)を提出しました
2月15日、星野文昭さんの家族、再審弁護団、星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議は、四国地方更生保護委員会へ13回目の申し入れを行いました。要望書は1133人分(累計16951人)を提出し、大きく前進しています。後日、19日に更生保護委員1人が星野さんに面接したことが判明しました。重大な情勢へ突入です。星野さんの解放かけ、3月大闘争へうって出よう。 |
いわての岡田幸助さん(前列左)や韓国・テグに訪問した宮原亮さん(前列左から3人目)、全学連の高原恭平委員長(前列右から2人目)などを加え、更生保護委員会への申し入れに向かった (2月15日 香川県高松市) |
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私たちに対応したのは磯久隆夫調整指導官ほか2人でした。冒頭、共同代表の戸村裕実さんが「委員は今日も出てこない。委員に出てきてほしいと伝えたのか。なぜ出てこないのだ」と追及しました。磯久氏は「伝えた」と言いましたが、出席しない理由は一切答えませんでした。
続けて岩井信弁護士が「前回、星野さんが制作したバッグを委員に見てもらうために渡した。委員はそれを見たのか。徳島刑務所は星野さんにカバン製造を託した。星野さんは一生懸命に作り、すばらしいものを完成させた。あのカバンこそ星野さんを仮釈放にできる証拠だ」と語りました。
次に星野暁子さんが請願書を読み上げ、最後に「文昭への委員の面接はまだないが、面接なしで決定する事もあるのか」と問いました。磯久氏は「委員の面接なしに審理を終結させた例はないと思う」と言い、法務省の統計では「四国では2008~17年の間に21件審理し、平均2回、最大で3回面接している」と言いました。岩井弁護士が「星野さんへの面接は2回以上、時間をかけてやってほしい。星野さんに会えば、彼の人柄も堂々とした生き方もわかる」と強く要求しました。その後、いとこの誉夫さん、いわて救う会の岡田幸助さん、香川取り戻す会が思いのたけを申し入れました。広島連帯ユニオンの宮原亮さんは「星野さんは韓国で、日本の長期良心囚として大きく報道された。沖縄闘争で44年も捕らわれていることに驚いている。解放は世界中の労働者民衆が心の底から求めるものだ」と言い、韓国でのテレビ報道の動画を示すと、磯久氏らは熱心に見ていました。全学連委員長の高原恭平さんは「星野さんの仮釈放は日本の刑事司法制度や人権状況全体に関わる闘い。沖縄によりそって闘った星野さんは誇るべき人。委員といえども、自己の良心に基づいて行動すべき」と語りました。
藤田城治弁護士は「今朝、星野さんと接見した。体重が減っているのが心配。適切な医療が絶対必要。無期懲役とは一生拘禁する刑罰ではない。更生保護委員会の設置目的は仮釈放の実現にある。獄中で命を落とす人の方が圧倒的に増えている現実を変えよう」と訴えました。
最後に、次回申し入れの日程が問題になりました。弁護団が要求する3月の予定を、磯久氏がかたくなに拒否。戸村さんが「仮釈放審理の透明性を高めるといいながら審理経過が一切わからない。申し入れ行動は非常に大切だ」。岩井弁護士が「4月上旬も含めて返事がほしい」と要求しました。磯久氏は沈黙を続けていましたが、最後は「わかりました」といわざるをえませんでした(その後4月15日に決まりました)。
更生保護委員が星野さんに面接
19日に四国地方更生保護委員会の委員一人が、徳島刑務所で星野さんと面接したことがわかりました。星野さんは「2時間30分位の面接だった。11・14闘争の本当の全体像、その中での自分の行動、そのことへの苛酷な弾圧と、暁子、皆に支えられて闘うことによって、人間としての生き方、人格を豊かにすることができたなどに触れられたことが一番よかったと思う」と言っています。
15日の13回目となる申し入れ行動に続き、17日には『琉球新報』『沖縄タイムス』への意見広告が大々的に掲載され、24日の沖縄県民投票では辺野古新基地に反対する票が72%も投じられました。
沖縄闘争を闘った星野さんを44年間も獄中に拘禁し続ける国家権力への怒りが一挙に拡大しています。国家権力の残酷なでっち上げ弾圧に屈せず、沖縄県民と一体となって闘い続ける星野さんへの熱い共感が全国、世界に轟いています。 星野さんの仮釈放をめぐる攻防は、最大の重要局面に入りました。星野さん・家族と労働者・民衆が切り開いてきた地平に立ち、3月大闘争を打ち抜こう。四国地方更生保護委員会に仮釈放を決定させよう。
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