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釈明を拒否する被告・国を許さない
2・8裁判報告集会での藤田城治弁護士発言

 今回は被告・国側の書面が出される期日でしたが、相変わらず非常に不誠実な対応でした。
 期日に先立って国側から「準備書面3」が示されました。これは、12月に出した原告第1準備書面に対する反論です。しかし4項目の求釈明のうち、2項目しか答えていません。
 重要なことは「19年3月1日に腫瘤(しゅりゅう)が発見された後、徳島刑務所が直ちに対応したと主張しているが、それを裏付ける証拠がない。4月17日まで放置したではないか」という主張に対して、国側が「回答の要はない」としたことです。
 国は「ただちに検査、あるいは移送のための準備を開始した」と主張しています。でも、3月14日に県内の病院に「こういう結果が出たので精査をお願いしたい」という書類を送ったという記録があるだけです。依然として3月1日から13日までが空白になっています。
 今回急きょ再度「釈明せよ」という書面を出しました。それでも法廷で、国側は「回答の必要がない。今後の原告の主張を見て回答を検討する」という対応をしてきたものですから、そこで岩井先生が怒ったというわけです。
 もう一つ、「医療センターがどういう体制だったか」ということに関して、再度の求釈明をしました。
 国側が「(術後星野さんを入れた)回復室はICUに準じた運用をしている」と盛んに言うのに対して、「ICUと言うからには看護師や医師は専属で張り付くものだけれども、張り付いていたのか?」と、追及しました。張り付きもしないで「ICUに準じた」とは言えないだろう、そういういい加減な体制しかなかったのではないかと指摘したのに対して、そこも回答しませんでした。
 専属の看護師や医師はいないのです。病院全体、回復室以外の患者も見ている人しかいなくて、星野さんは放置されたのです。
 回答がなかったから、次回に提出する原告側の準備書面では、そんな人たちは居ないでしょうと決めつけて、カルテにもそういう形跡しかない、と主張を展開しようと思っています。
 術後のケアがずさんだったことが星野さんの死に直結したことは、かなり有力に主張できていると思います。
 重要なポイントは、そこを少しさかのぼって、もっと早く精密検査を受けていれば、特に星野さんが倒れた18年の8月とか、6月にγGTPの数値が上がったところで精密検査を受けていれば、死なずにすんだのかどうかです。
 裁判所から、より早く治療を受けていれば星野さんは助かったのかどうか、その部分についての主張を整理して下さいと、要求がありました。今後の裁判のポイントになるかと思います。


星野新聞第112号 掲載