6月22日の第1回口頭弁論から星野闘争の飛躍と発展が始まりました。コロナ情勢は非人間的な新自由主義の本質をあばき出して、世界と日本で新たな闘いが始まっています。
星野文昭さん獄死の国家犯罪を断罪する闘いはこれと結びつくものです。8月30日の全国総会を成功させ、闘いの輪を大きく広げよう。
6月22日午前10時30分、星野文昭さん獄死の国家犯罪を追及する闘いが始まりました。2月21日に星野暁子さん(妻)、治男さん(兄)、修三さん(弟)が申し立てた国家賠償請求の第1回口頭弁論が、東京地方裁判所民事第14部(伊藤正晴裁判長)、721号法廷において行われました。
被告・国は6月15日に「答弁書」を出しました。「原告らの請求を棄却」することを求めながら、具体的内容は「追って明らかにする」という許しがたいものです。
裁判に先立って、大坂正明さん救援会(準備会)の人たちと一体で裁判所前での宣伝活動を行いました。大坂さんは、1971年11月14日に星野さんたちと共に渋谷闘争を闘い、46年もでっち上げ指名手配と闘った上、現在でっち上げ「殺人罪」を打ち破るために闘っています。
暁子さんが国家犯罪弾劾の陳述
法廷には、他の獄中医療に関する国賠訴訟を闘う人たちも傍聴に入りました。
意見陳述に立った星野暁子さんは、昨年5月30日に星野さんの死亡を知らされ、すでに棺桶に入れられた星野さんと対面した時のショックと悲しみから語り始め、「文昭の死の真実を暴き出し、文昭の死を私のもとにみんなのもとに、取り戻したいと思います。それを通して人権侵害が日常化している獄中医療を変革したいと思います」と述べました(別掲記事参照)。
次に主任の藤田城治弁護士が2点に集約して、訴状要旨を陳述しました。
第1は、徳島刑務所の責任です。
刑務所という規則正しい生活環境の中で星野さんの体重は減り続けました。定期的に接見して次第に痩せていく星野さんを見た経験から、刑務所の医療放棄を実感をもって弾劾しました。18年6月、肝臓の状態を示すガンマGTPが77U/㍑になりました。これは前年の倍であり、ただちにエコー検査等を行うべきでした。ところが刑務所はそれを行わず、8月に星野さんが倒れた時には「胃けいれん」というでたらめな病名を付けて1日病舎で休ませただけでした。その後も、家族・弁護団が求める精密検査を行なわず、翌年3月1日に行ったエコー検査で肝臓に巨大な腫瘤(しゅりゅう)を見つけながら、4月17日までその事実を隠し、一切の医療を放棄してきたのです。
第2は、東日本成人矯正医療センターの責任です。
14㎝×11㎝という巨大な肝臓がん切除手術を行う体制も能力も無いにも関わらず、同センターは手術を強行しました。手術中の大量出血でショック状態を招きながら、執刀医も助手(外科医)も主治医(内科)も麻酔科医も帰宅してしまいました。手術当日の深夜1時から5時まで、星野さんは完全に放置されました。藤田弁護士は獄中医療をめぐり複数の国賠訴訟が闘われていると指摘し、「慎重かつ厳密な審議を求めます」と締めくくりました。
裁判終了後、司法記者クラブで記者会見を開き、共同通信が配信して各地の新聞で報道されました。
午後1時から、弁護士会館に60人が集まって報告集会が開かれました。共同代表の狩野満男さんは「国賠闘争の中で大きな飛躍と転換を勝ち取ろう。8月30日に全国総会を開き、その方針を作っていこう」と訴えました。
次回は8月27日(木)、午前10時30分、東京地裁第411号法廷です。8月30日の全国総会を成功させ、星野闘争の新たな発展を実現しよう。
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星野新聞第102号 掲載
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