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星野文昭さんのメッセージ



   あるがままの暁子と  2006.2.20~家族へ宛てた手紙より~

 今日は、暁子との嬉しい面会の翌日の8日。面会の一日目は、暁子が寒そうで気の毒なくらいの寒さで、二日目は、きっと暁子も面会の後に外に出てそう感じたように暖かかったのに、今日は、また一転して、雪が日中パラついて、工場から居房に帰る頃には、2cmぐらい積もる程の寒さだった。面会で暁子に言われたように、喉の調子がちょっとよくなくて、風邪の兆候もあるので(一度引いて免疫ができているので、たとえ引いても直ぐ治るとは思うけど)、今日は予防のために着れるものは全部着てこの手紙を書き始めているよ。
 面会は、数えてみると8か月ぶりの面会で、本当に嬉しい面会だったし、暁子にとっても、僕にとっても大きな一歩を踏みしめるような面会になったけど、無事に阿佐ヶ谷南のアパートに着いただろうか。きっと今は、面会でのことをいろいろと振り返っている頃ではないかなと思っているよ。(徳島救う会の皆さんの「退院を祝うパーテイ」のことも含めてね。)

 面会は、話したいことはまだまだ山のようにありつつも、暁子にとっても、、僕にとっても大きな一歩を踏みしめるような面会だったよね。

 いろいろなことが、二人にとって、これからの糧になる面会だったと思う。
 暁子にとって面会できたこと自体が、7月以降の入退院のなかで大きな大変さをのりこえてきたものだからこそ、次に向かっての大きな自信になったと思うし、何より、二日にわたる面会で、暁子と僕が、心に、魂に届き合う、本当に心が通い合うことができたことが、次へ向かっての大きな自信になったんじゃないかな、と思っているし、そうできたことが、僕にとって何よりも嬉しかったよ。

 一日目は、乗る予定だったスカイマークがブレーキの故障で欠航になったことで、みぞれが降る午後5時からの面会になったことで、本当に寒そうにしていたので、それだけでも心配だった。コートこそ着てたけど、首の回りが結構大きく開いたセーターだったから。風邪を引いたりしていなければいいけどね。

 その一日目の面会は、7月以降の入退院の中で、いろいろな大きな大変さを、(僕も一緒に)のりこえて会えるようになって、無条件に嬉しいということがありつつも、暁子の話や、表情や姿の全部から、暁子の今の状態を理解したいという思いが一番強かったから、いろいろ心配したり、気を使ったりという面もあった。薬の副作用ということも含めてね。 でも、面会での暁子は「素の暁子」というか、自分を飾ったりとかではなくて、あるがままの暁子そのものの心と姿でいる。会ってくれている、という感じで、面会では、そのあるがままの、素の暁子の心に触れ、その心に響き合うような会話ができたことが一番大きかったと思っているよ。

 そうして、僕の気遣いや心配を暁子も感じたということでもあったのだと思うけど、普通に接してくれるのが一番いいと言ってくれたことが、僕に、暁子への一番いい接し方を教えてくれた形になったことが、何よりよかったし、嬉しかった。
 だから、二日目は、暁子が望むように、普通に、暁子への思いや言いたいことをそのままに会おう、そのように会話しよう、心と心で会話しようという思いで会ったことが、暁子が面会で言ってくれたように、僕が元気に見えたということだったのだと思う。そして、何より、僕が元気に見えたというのは、一日目の面会で心と心が触れ合い会話できたことで、暁子自身が、一日目よりもはるかに元気になっていたことが大きかったよ。

 面会では、本当に、素の暁子の心に触れ、その心に響き合うようにいろいろ話せたことが本当によかったよね。
 今回の暁子との面会を通して、僕が一番思っているのは、暁子の心、悩みや求めていることに、もっともっと寄り添って生きる、ということだよ。そうして、(人間的に)心豊かに生きていく(主体的な)内容、 力を、一歩一歩、一つ一つ生みだし積みあげていくことができればということだよ。

 今、一番必要なことは、長い間の無理や緊張から(心と体が悲鳴をあげるほどの)暁子の心と体を解放して、しばらくは療養を第一にリラックスし、心と体をできるだけ(人間的に)心地よい状態に置くことを通して、暁子本来の人間的な豊かな感性、人間性を解き放っていく、ということを大切にするということだと思っている。

 その中で、自身と(一緒に)積みあげてきたものを見つめ直し、(一緒に)生きていくことの全てに向き合い、一緒にそれらの一番、人間的で豊かな内容をつくっていくということと一体にね。