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星野文昭さんのメッセージ


           親愛なる北原鉱治さん追悼して
   「三里塚に来い」を果たす

                                   2017.9 星 野 文 昭

 10年前に徳島まで足を運び私に会いに来られ、親しくお話しができた光景が昨日のように思い出されます。
 1971年11月14日の「渋谷暴動闘争」の前の夏、秋の三里塚現地闘争以来の再会でしたが、空白を感じさせない面会でした。そして、「三里塚に来い!」が約束の言葉でした。
 北原さんを一言で言うと信念の人だったと思います。戦争を身をもって体験して、その本質が財閥はじめ1%のために労働者人民を殺し合わせるもの、半分以上に餓死・病死を強いるものであることを骨の髄まで刻み込んでいたからこそ二度と戦争を許さない、戦争の無い世の中を、という信念は一点の曇りのない譲ることのできないものだったと思います。だから北原さんにとって三里塚軍事空港建設は絶対に反対し、農地死守が勝利の道であることは揺るぎなく、幾度かの脱落・逃亡と闘うことによってそれは不動なものになり、その真の勝利が労農連帯にあることも闘いの中で揺るぎないものになっていったのだと思います。
 それは今日の情勢の中で全ての労働者人民に勝利の道を示すものになっています。朝鮮侵略戦争・核戦争、数百万人を虐殺し、特区、労働法制改悪で低賃金・長時間労働を強い、TPPで農業・農民切り捨てる安倍政治を絶対反対と 労農連帯・団結の闘いで打倒し、労働者人民の手に全てを奪い返す道を示しています。
 北原さんにとって、三里塚闘争に責任を取りきって闘うことを通して、勝利しめざすものを手にしていったのだと思います。酔うと「ロマンが大事」と言っていたというように、戦争体験から戦争絶対反対を三里塚闘争に貫いて闘うことを通して、労農連帯、労働者人民の団結の力で世の中を変えていく、安倍やトランプの労働者人民に戦争・搾取・貧困、人間が人間らしく生きられなくする権力を打倒して、戦争・搾取・貧困の無い、誰もが人間らしく生きられる社会を実現していく、そのことが北原さんのロマンそのものだったのだと思います。
 面会での「三里塚へ来い」は、その闘いを一緒に闘おうということであったし、その約束は必ず果たしていきたいと思っています。
 亡くなる時、北原さんの中には、本当にやり切ったという思いと、その自分を戸村さんや大木よねさん、宮本さん、鈴木さんなどが「ご苦労さま」と握手の手をさしのべる光景があったのではないかと思っています。そして、北原さんの遺志を引き継いでいくことを誓いたいと思います。
 今1%が巨大な富・過剰資本を抱え込んで大恐慌に行き詰まり、それでも利潤を貪るために労働者人民に低賃金・長時間労働・過労死、生きられないほどの搾取・貧困・犠牲を強い、さらに儲けの場をめぐる争闘戦、中東、朝鮮戦争・核戦争、世界戦争を安倍・トランプを先頭に推進し、資本主義が音を立てて崩れようとしています。社会を動かす社会の真の主人公の労働者人民が団結し、闘う労組、三里塚・沖縄はじめ闘う拠点を拡大して民主労総に続くゼネスト・民衆決起によって安倍・トランプはじめ支配階級を倒し、北原さんが望んだように戦争の無い、搾取・貧困の無い、誰もが力を合わせ人間らしく生きられる社会をかちとっていきましょう。
 その闘いと一つに三里塚・沖縄を闘い、無実で無期43年投獄の星野、46年指名手配の大坂さんの解放をかちとりましょう。そうして北原さんとの「三里塚に来い」の約束を果たします。