星野暁子さん面会日記
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2014年 6月30日~7月4日

     面会室で「ソリダリティ」を唄う


 6月30日から7月4日まで、初めての5回連続面会を体験した。いつもの通り、1回30分、障壁があり看守の立ち会いもつ
く面会だが、ゆっくり対話を楽しむことができた。なんということはない、「戦争と革命」の時代の星野闘争の位置づけに
ついて、「3日間も同じ話をした」と文昭から言われた。もっと楽しい話をするつもりだったのだけど。






 希望と情熱を共有する歌

 6月30日、山川さんが準備してくれた「あじさいと黄金ゆり」の拡大カラー写真を見せながら、面会に臨んだ。前日29日の星野全国集会について、「670人集まって、3曲つくった星野の歌、感動的にみんなに迎えられたよ」と私は話した。「雨はどうだったの?」と文昭。「上野野外ステージは屋根がついているから、後半雨がザァーと降ったけど、大丈夫だったよ」と伝えた。集会を妨害するためにだけ、会場のまわりにたむろしていた100人の私服警官は、さぞやびしょ濡れだったことだろう。
 説明はしないで、「ソリダリティ」を3番まで歌って聞かせた。私が歌詞をつくり、丸尾めぐみさんが作曲をしてくださったことは文昭に手紙で伝えてあった。「暁子の歌がよかった」と文昭は喜んでくれた。「決意を語ったりするのではなく、希望と情熱を共有する歌だね」と言った。
 7月1日、杉並での区議補選の結果を文昭に報告した。私たちが応援している北島邦彦さんが、4332票を獲得したのだ。当選はできなかったけれど、「職場に労働組合をつくって、その力で安倍政権を倒そう!と正面から訴えて、4332人が支持してくれたというのは、すごいね」と話しあった。
 イスラエルで終身刑を受けているイガール・アミールが裁判で勝って、8時間のハネムーン時間が認められ、獄中結婚した妻との間に子どもをつくったという秋田のMさんから聞いた話を伝えると、文昭は「パレスチナの戦士たちも精子を宅下げして、妻が子どもを産んだという例がいくつもあると本で読んだ」と言った。「私たちも子どもがほしいという要望を出して、日本では認められなかったけど、認めている国があるんだね。ヨーロッパだけじゃないんだね」と私は話した。
 集団的自衛権の行使が閣議決定される中で、星野闘争の位置づけについて、話しあった。文昭は、「星野で勝つんだということをはっきりさせないで、革命を語っても説得力を持たない。未来のかかった闘いとして、星野で勝っていく。世の中を変えていく力で、我々自身の死活のかかったものとしてやりぬいていこう。世の中を変えていく闘いの心棒として、分断を破ってすべてを奪い返していく闘いとして星野をやることだ」と言った。

 暁子の好きな色で絵を

 7月2日。花束の持ち込みが禁止されてからはなおさら、ファションショーのように、毎日ちがう服を着て面会に行っている。それを、文昭は楽しみにしている。この日は、文昭の賞与金で買った白のワンピースを着ていった。「やっぱり、白
を選んだんだね」と文昭。「またか」と思ったろうか。「白が一番好きなの。明るく透明感のある淡い色が好きだな。暗い色は似合わないし、好きじゃない」と私が言うと、「そう思って、僕は暁子の好きな色で絵を描いている。そうすれば、暁
子が一番癒されると思うからね」と文昭は言った。最近よく「文昭さんの絵から抜け出したような暁子さん」なんて言われるけど、そういうことだったのだと、こんな大切なことを、私たちは今頃になって確認しあっていた。私が面会で、自分の好きな色を文昭に伝えるなんていうことは、珍しかったのだ。これも、5回連続面会の成果だと言える。
 7月4日、5回目の面会。集団的自衛権の閣議決定が強行された今を、文昭は「楽しみな過程がはじまった」と言った。「歯車をもっと大きく、もっと勢いよく、社会全体を動かしていく。若者が立ち上がっていく闘いと星野を取り戻していく闘いを一つに作っていくと言うことだ。その中で、暁子がますます暁子らしくなっていく。そうすれば僕もますます僕らしくなっていくことができる」と文昭は、楽しそうに言った。
 戦争との闘いは、弾圧との闘いとして進む。だから39年非転向を貫き団結の結集体としてある星野闘争を勝たせることは、重要だと確認できた面会だった。