星野暁子さん面会日記
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2014年 6月3日~6日

     感動の輪を広げたフミアキコの28年




  左から伊藤成雄さん、星野暁子さん、青柳晃玄さん


  6月3日から6日まで、はじめて4日間連続の面会をすることになった。前日夜に秋田から戻るという強行スケジュールのため、3時からの面会になった。文昭は、風呂あがりだと言う。さっぱりしている。
 山川さんが準備してくれたA4版のバラの写真を見せた。そして、秋田の絵画展と集会での寄せ書きを見せた。布のまん中にひまわりが描かれ、色とりどりのクレヨンでみんなが書いてくれたカラフルな寄せ書きだ。アクリル板いっぱいにに広げて見せると、文昭は目をあちこち走らせ喜んだ。

 この日は、30日の茨城・牛久での絵画展と集会、31日の動労水戸主催のいわき集会、6月1日の秋田での絵画展と集会の報告がメインだった。秋田での成功の高揚感が残っていて、珍しく私は話しまくった。


 5月30日の牛久での絵画展と集会は、日下部さんが始めた『愛と革命』の貸し出し運動の中で出会った方が、自分にできることとして、絵画展を主催してくれたという話を伝えた。そして、集会で私の話を聞いてくれた精神障害者の子どもを持つお母さんから、「生きる力をもらいました」と感想をいただいた話を伝えると、「無期の中で、何が一番力になるかを考え、暁子と一緒に生きること、みんなとともに闘っていること、それが一番に力になることをつかみ取って、大切に生きている。それを見てくれて、自分にとって何が大切なのかを考え、僕らが大切にしているものを生きる拠りどころにしようということだと思う」と文昭。そのお母さんに手紙を書きたいと言った。
 国鉄闘争の小玉夫妻、画家の芦野雅春さん、人形作家の芦野純子さん夫妻を中心に実行委員会がつくられ、初めて秋田で開かれた絵画展は、3日間で100人の人々が見てくれたことを伝えた。そして、6月1日の集会は30人の人たちが参加してくれた。「集会で私が講演したけど、感動したと泣きながら聞いてくれた人が結構いた。昨日まで星野を知らなかった人たちなんだよ。私が秋田大学の聴講生として学んでいた頃、ゼミの先生だった方が『お話を聞いて、自分の生活の自己批判ということを思わされた。この数年、こんな深さで心を動かされたことはない』と話してくれたよ」。「無期の中で、文昭と私が前向きに深く愛しあって生きていることに感動してくれたようだよ」と話した。
 また、芦野雅春さんが、「原画を見なければわからなかった。脱帽だ。この子のほっぺなんか、さわりたくなるように描かれている」と言っていたことをしっかりと伝えた。



伊藤成雄さんは面会不許可に


 5・31いわき集会の報告もした。600人の結集。この集会をやったことを通して、竜田(常磐線竜田駅までの)延伸阻止を訴える動労水戸の闘いが仮設住宅の住民、楢葉町の人々をどんなに勇気づけているかわからない。手を振ってくれる人や駅前で待ち受けてくれた楢葉町の人がたくさんいたこと、集会で星野奪還のアピールをしたことも重要だったと話した。
 この日は、徳島刑務所に対する暑さ対策での申し入れも行った。
 6月5日、3日目の面会。元身柄引受人の青柳晃玄さんといっしょの面会だ。病気である青柳さんに同行した群馬の伊藤成雄さんは、面会が許可にならなかった。青柳さんの後継者として、高崎経済大学から親友である伊藤さんの面会を認めないのは、本当に許せない。青柳さんはニコニコしながら面会し、92歳の北原鉱治さんが三里塚の闘いの先頭に立っていることを話し、「三里塚、反原発、国鉄で勝利してきている。菩薩を越えて如来になった文昭君がその後ろにいる」と言った。文昭は楽しそうに青柳さんの話を聞きながら、「人間らしく生きられる社会をつくるために、今生きていることそのものがすばらしい」と話した。
 はじめての4日間の面会、心の余裕が持てた面会だった。

 面会の喜びを伝える6・29集会へのメッセージ
                                         青柳 晃玄
 今回の面会は本当に楽しかった。「人間が人間として生きていくためにやむにやまれぬ営為として」私はこの道を歩み続ける。このことを実感し、生涯の友として星野さんとともに歩むことをお誓いしました
 今後も伊藤成雄氏を「友人面会」の最適任者として、当局に認めてもらうために精一杯努力していきます。その実現に向けて頑張ります。