星野暁子さん面会日記
TOPページへ!
2014年 4月23日~25日

        文昭、68歳の誕生日に











 4月23日、山々が新緑で輝き、面会室へと続く石段の両わきのつつじも咲きはじめた。山川さんが準備してくれたゆりの花のカチューシャと赤いフリージアの胸飾りをつけて文昭との面会に臨んだ。文昭は手紙で、4月から優遇区分で2類に進級したことを伝えてくれた。面会は月5回、手紙は月7回書くことができるようになった。文昭は、3年間無事故、無違反でもらえるバッチを3個つけ、朱色で目立つ2類の名札をつけて、面会室に現われた。
 「2類、おめでとう。よかったね。心に余裕ができたよ。面会と手紙以外で他によくなることはあるの?」と聞いた。「暁子も書いていたように、2類集会というのがある。3類と2類の人間が、集まって、月1回の集会をやっていて、大半の受刑者は、そこに入るんだ。2類集会は、400円ぐらいのお菓子と飲み物を買って集まるんだ。歌番組のビデオを見るんだけど、3類集会より長い。みんなが仕事をしている中で、仕事を自分だけ休まなければならない。他の受刑者との関係を考えて、辞退しようと思っているよ」と文昭は言った。すべてを奪われた上でのささやかなプレゼント、もらえるものはもらっておいた方がいいと私は思ったが、「職場での団結」を文昭は優先したいということなのだろう。
 「他に制限区分と言って、僕は3種だけど1種になると解放棟に入れて、外出・外泊もできる。2種でも審査を受けて外出・外泊もできることになっている。電話もかけられる。電話をかけに行く人は見たことがあるけど、外出・外泊に行く人は見たことがない」
 兄の治男さんがマレーシアから帰ってきた話、伝えてあった鈴木コンクリート分会の解雇撤回の話で盛り上がった一日目の面会だった。

 24日、二日目の面会。山吹のカチューシャをつけての面会。午後から那賀町の山川宅を訪問するため、朝9時30分、一番目の面会だった。「今、山がきれいなんだ。杉と若草のコントラストが最高だ」と文昭。文昭が3年前に展示会に出展して、戻ってきた「希望・被災された人々と共に未来をⅡ」を宅下げし、2人で見ながら話をした。
 沖縄の話になった。「平良悦美さんから週1回の便りを見ても本土への期待をひしひしと感じるよ。沖縄を戦争のために使いきる、沖縄の人達の気持ちと相容れない形で出てきている以上、沖縄全土が立ち上がる闘いを、本土が課題として担っていく、改憲阻止闘争と闘う最重要の闘いとして位置づけて闘うことが重要だ」と文昭は言った。



 暁子と生きている感動


 4月25日、3日目の面会。4月27日に68歳になる文昭に、「誕生日、おめでとう」と私は言った。誕生日に面会を合わせたことに文昭は、「ありがとう」と言った。クラシックが好きな文昭の為に差し入れた全15曲が聞けるオルゴールカードも今回初めて「居房」で聞けた。「知っているのはトルコ行進曲とジュピターだけだった」と文昭。
 「物忘れが出てきたりということはあるけど、集中力や物事を深く考えるという点ではかえって深まっている。体力的には40代だ。暁子といっしょに生きている感動を感じることが結構あるんだ。僕が元気でいられるのは、暁子といっしょに生きているということと、みんなといっしょに闘っていることがあるからだよ」と文昭は言った。
 阿佐ヶ谷での「絵と詩展」のアンケートのコピーも届いていた。「絵の感想だけではなく、僕がえん罪でとらわれていることや、暁子といっしょに生きていることに触れるものが結構あった。絵や詩のもっている力の大きさを感じたよ。僕の絵は、暁子を少しでも癒すために描いてきているんだけど、絵を描いてきて、よかったと思ったよ」と文昭。みんなの感想が、文昭を元気づけているのだ。もちろん、私をもだ。
 沖縄の話に戻った。「沖縄での解雇撤回の闘いを、積極的に位置づけて、国際連帯の闘いとしてやってきている」と私が話すと、文昭は、「個別の解雇撤回を全体の安倍政権を揺るがす闘いとして、取り組むというのが最近切り開いてきた地平だ」と言った。星野を奪い返す闘いも、沖縄闘争そのものだし、安倍政権を追い詰める闘いであることを、確認しあって、この日の面会を終えた。
 受付に戻ると、「生花の飾りは、だめですから」と念をおされたが、面会の充実感の方が大きく心に残って、笑顔は消えなかった。