星野暁子さん面会日記
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2014年 3月12日~14日

     郡山での旧友との出会いを喜ぶ文昭

 3月12日、面会に向かう車の中から、桜が一本だけ咲いているのが見えた。この日の面会は、前日の3・11福島の郡山
集会の報告がメインだった。「原発が持ち込まれた運命のすべてを受け入れる」と発言した高校生はじめ、福島から日
本を変えていこうという感動的集会が勝ち取られたことを伝えた。
 1100人が集まった集会の後のデモで、沿道の人たちが、手を振って応えてくれた様子を伝えると、文昭は、「そう
なんだ。自分ではデモに参加できなくても、やっている人をみると自分の意思表示ができるようになるんだ」とうれしそ
うに言った。
 プレ企画の郡山駅前では貴重な出会いがあった。元原発労働者で、今除染の仕事をやっているHさんに会えたのだ。高校生の時、文昭とキャッチボールをしたことがあるという。Hさんは、「昔は、生活でいっぱいで何もできなかったが、今は人間として生きるために闘う道を選んだ」と話してくれたことを伝えた。文昭は、名前を思い出せなかったが、「運動の広がりの中で、そういう人とも出会えるようになった。中学時代のN君からも手紙をもらっているよ。働きかけてくれたOさんのおかげだ」と言った。

分かりやすくなったアピール

 3月8日の婦人民主クラブの集会で、文昭の17日間の「獄中での選挙戦」を伝えたら、みんな感動的に受けとめてくれたことを伝えた。2月の面会で私ひとりを相手に、2日間アジテーションをしまくった文昭をどう受け止めたらいいのか。文昭が闘いの主体として、1000万東京都民を相手にする自己変革を遂げたこと・遂げようとしたことを感じたし、文昭のすべての労働者人民に訴えたいという希求、奪われているがゆえの激しさを感じたということを伝えた。実際文昭のアピールは、選挙戦以降、わかりやすくなった。「やっていけない現状に対して、労働組合をつくって闘うこと・根本からの変革を訴える選挙戦での地平がみんなのものになった。今までとはまったくちがう」と文昭も私も言った。

 

 


 13日、この日はあいにくの雨だったが、花の持ち込みを禁止されたことに怒ってマリさんが「それならこれを着ていけば」と、花模様のチマチョゴリをくださったので、ピンクのチマチョゴリを着て面会した。文昭も、「いいね。似合っているよ」と喜んでくえた。
 この日は、宅下げしてくれた絵を見ながらの面会だった。「桂木文子さんがアロマショップで買った東南アジアの子どもの絵なんだ。笑顔が飛び出してくるような写真だったからね。寒かった10日に、くしゃみをしながら、描いたよ。僕の絵は、肌を白く透明感があるように描くんだけど、日焼けした肌の色を出すのが難しかったと」文昭。「表情がいいね」と私
が応えた。


 14日。3日目の面会。健康問題を中心に話した。体温は何回か計っていて平均すると、35・5度。日付と時刻も入れたデータを伝えてくれるように頼んだ。「寒冷アレルギーがひどくならないように、今年はできるだけ蒲団に入って、体を冷やさないようにしたのがよかったようだよ。指先を暖めることもいいんだ」と文昭。
 闘病中のYちゃんへのアドバイスをこの日は話してくれた。「人間らしく生きたいという根源的な要求に耳を傾けて、そ
れを大切にしていくことが大事だ。人間らしく生きたいという思いがどういう形で満たされるかというと、誰もが人間らしく生きられることで自分も満たされる。人のために生きることで満たされる。まわりのみんなのために犠牲になったと考えるのではなくて、自分のいいところが発揮されたと考えるのが大事だ」と文昭は言った。そして、「誰かの評価から離れて、自分のやってきたことを正しく評価して、その中で克服すべきことを明らかにして進むことが大事じゃないか」と言った。Yちゃんの心をちゃんとわかっているんだなと、思った。充実した3日間の面会だった。