星野暁子さん面会日記
TOPページへ!
2018年 2月5日~9日

    暁子の夢を見たよ
 2月5日
 昨年末、文昭が使っていたコンタクトが破損した。コンタクトを作るのに必要な医師の処方箋(せん)を、刑務所では作ってくれない。やむなく古いデータだけで購入し送った。このコンタクトが「取り下げ」という手続きを経て、2カ月かかってようやく本人に届く見通しになった。
 この日の文昭は、いかにも寒そうで疲れて見えた。「カバンの製作を始めているけど、その前にみんなの道具入れを30個、僕一人で作ることになっていて、これが結構大変なんだ」と文昭。「絵は、昨日一日かけて仕上げたよ。昨日の最高気温は3度。足にしもやけができ始めているからカイロを足に二つ、背中に一つ入れて座って描いた」。

 6日
 沖縄名護の市長選の話になった。「残念だったけど、基地反対派は58%、容認派は30%だから反対派は2倍いる。基地ができれば戦争に使われる。民主労総がやっているように、労働運動を軸に地域住民が立ち上がるような闘い求められている」と文昭。
 「悦美さんは、朝5時30分に家を出て、辺野古に行っているそうだよ。歩くと痛みがあるらしいけどね」と私が言うと、「自分の中に癒す力が必ずあることを信頼して、よくなってほしい」と文昭。
 7日
 湿疹対策として「ステロイドは飲むのをやめたが、つけてはいる。悪化していないし順調だ」と言った。ぎっくり腰はかなりひどかったそうだ。「心配をかけたくない気持ちがあるので、治ってから話すことになってしまう。一緒に生活していれば、そんな必要ないんだけどね」と文昭。
 8日
 「キプロス、オレンジを摘む少女」の絵を見ながら話した。「春らしい菜の花畑をバックに暁子の好きな果物を差し出しているんだ。こういう絵を描くことで自分が救われているようなところもあるよ」。厳寒の中で、心と体が温まるような絵を、私のために描いたのだ。

 9日
 私が長倉洋海の本を読んで、子どもの労働の話をした時、文昭は「ここでは、仕事中に話をしてはいけない規則があるから、なおさら共同性が問われる。協力しあうことが人間にとって大切なんだ」と言った。
 夢の話をした。「暁子の夢を見たよ。辺野古のような海が見えるところを手をつないで歩いている。手がほどけて、もう一度僕が普通に手をつないだら、暁子が手をからませてくれたんだ」。夢を見ていない私にはうらやましい話だった。いつもの元気な文昭に戻っていた。