星野暁子さん面会日記
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2016年 11月21日~25日

   訪韓報告で感動
 11月21日
 肌寒かった東京と違って、この日の徳島は暖かかった。
 手紙でも伝えてあったが、韓国の報告がメインの面会となった。写真を見せながら、125万の労働者民衆が集まった迫力を伝えた。文昭は「アラブでの革命ということがあったけど、民主労総がいることが決定的に違う」と言った。「ゼネストを中心にしながら、労働者自身の勢力をつくっていく。それを土台にしながら、まわりにあらゆる階層を集めて、パク・クネを打倒して、労働者自身の権力をうち立てることをまちがいなく展望している。新自由主義のもとで、労働者人民が痛めつけられている。全世界で同じような闘いをつくることが必要だ。労働者の党をつくることが必要だが、そう時間がかかるわけではない」と文昭は言った。
 12日に拘束労働者後援会(拘労会)のブースに行ったが、ものすごい人の波でたどり着くまで本当に大変だったこと、13日に拘労会の事務所を訪ね、事務局長のペミヨンさん、その姉の前事務局長ペウニョンさん、運営委員のキムヨンウンさんにお会いすることができたことを報告した。
 

 12日に拘束労働者後援会(拘労会)のブースに行ったが、ものすごい人の波でたどり着くまで本当に大変だったこと、13日に拘労会の事務所を訪ね、事務局長のペミヨンさん、その姉の前事務局長ペウニョンさん、運営委員のキムヨンウンさんにお会いすることができたことを報告した。
 獄中結婚して30年間、一度も手を握ることもできないこと、また暖房もない日本の刑務所の様子を知らせると、「自分の知っている日本と違う。日本の刑務所は、戦前のようだ」と驚かれたことを伝えると、文昭も「韓国では、刑務所での冬の温度を18度以下にしないという法律があるそうだからね」と言っていた。
 ごちそうになった宅配のお料理も、おいしかったことを伝えた。拘労会の機関紙に星野の特集を組んでくれることになったこと、韓国の政治犯に年賀状を書くことを約束したことを報告した。

 22日
 この日は、健康問題について話をした。気になることは血糖値が160あることだ。「医者としても、血糖値とにらめっこをしながらステロイド剤を使っている。総合的に考えたら、湿疹のかゆみがなくて、夜も眠れて体調もいい。湿疹によるかゆみが最大の問題だった。僕にとってかゆみから解放されているのが大きい。医者も糖尿病にならないように気を使いながら、ステロイド剤を使っている。今のところ心配しなくてもいい」と言っていた。

 24日、25日
 2日とも従兄の誉夫さんといっしょの面会だった。文昭は、黄緑の作業服の上に、面会用の白いシャツを着て出てきた。
 誉夫さんは、家族の連署で仮釈放の請願書を出したことを報告した。「30年問題」についての文昭の考えは、無実なのだからただちに出せということと、全証拠を開示させ再審開始で釈放される、この二つの中に「30年問題」も位置づけるということだ。
 誉夫さんは、「刑の確定後30年になる来年7月までに、徳島刑務所が仮釈放をするかどうかわからない。しない場合は、地方更生保護委員会が審査をすることになる」というと、文昭は自分の意見は、手紙で書くと言って4日間の面会を終え
た。