星野暁子さん面会日記
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2016年 4月26日~28日

   70歳の誕生日に

 4月26日
 4月27日が文昭の70歳の誕生日。それに合わせての面会だった。
 友人面会を求めて、戸村裕実さん、狩野裕子さんと一緒に面会要望書を提出した。待合室で待っていると、工場担当が「戸村さん、狩野さんは面会できない」と言ってきた。強く抗議し、面会させるように申し入れたがらちが明かない。やむなく私ひとりでの面会になった。
 面会室に向かう踏み石の両側のつつじは、満開で見事だった。「つつじの話になると、お義父さんを思い出すよ。つつじを大切に育てていたよね」「誕生日カードが、毎日のように届いているよ。キャロルからも届いた。誕生日おめでとうって、日本語で書いてあったよ。キャロルは、アメリカの労働運動がスターリン主義の影響が強くて、『きれいな核』とか主張している人も多い中で、しっかりした反対の意見を持っている人だね。
 バースデーカードに三里塚の『星の木』のことを書いてきた人がいたよ。て、『きれいな核』とか主張している人も多い中で、しっかりした反対の意見を持っている人だね。
 バースデーカードに三里塚の『星の木』のことを書いてきた人がいたよ。
 面会に来てくれた戸村さんには『三里塚で、内田行動隊長と一緒の場面が多かった。こういう形で再会するとは思わなかった。闘いの中で飛躍しているのがうれしい』と言ってほしい。裕子さんには『暁子を支えてくれていることに感謝している』と。ふたりにくれぐれもよろしく」と言った。
 夜、徳島救う会のみなさんに誕生会を開いていただいた。




 

 27日
 オルゴールカードで、「ハッピーバースデイ ツー ユー」を二人で聞いた。
 文昭は「絶好調とまではいかないけど、それに近い。疲れを頭にも体にも残さないようにしている。鯖(さば)は好きだけど、アレルギー反応が出るんだ。残さずに全部食べたら、いっきに吹き出物ができた。ステロイドは、半錠だけ飲んでいる」と言った。
 絵画「『暁子』と行く朝陽そそぐ菜の花咲く美瑛の丘」を見ながら話した。「いい絵だね」と私が言うと、文昭はうれしそうだった。「僕的には傑作だ。夕焼けだと暗くなるから朝陽にしたんだ。僕と暁子の誕生日を記念して、明るい未来への思いが出ている絵だ。みんなの未来も明るいよと言っている絵なんだ」「この絵をお義母さんにも見せてほしい。何もしてあげられない思いが強い。絵で美瑛に連れて行ってあげたい」と文昭。
 「70歳までにとり戻すって言ってきて、それはできなかったけど、次の目標は、71歳だね」と私は言った。「世の中の注目度が大事だ。星野に取り組むことで、他の運動を強めるようになれば、星野の運動も強くなる。解放の道筋をつくっていこう」「いままでの面会の中で、今日が最高の面会だった」と文昭は言った。

 28日
 沖縄絵画展へメッセージをもらった。さらに「一緒に世の中を変えていく。獄壁があってもやっているが、一緒の実生活の中から現実の課題と向き合いたい。多くの闘いをひとつにして、星野を解放する力を勝ち取ろう」と文昭は言って、3日間の面会を終えた。