星野暁子さん面会日記
TOPページへ!
2016年 2月17日~19日

      年賀状が735通に
 2月17日
 「先週の土、日が暖かかった。絵を描く時は、布団をこたつのように使ってやるわけにはいかないので、暖かくてよかったよ」と文昭。「2週間に一度、湿疹のことで診察がある。ステロイドの服用を減らしていて、今半錠飲んでる。1錠に減らした時の検査で、血糖値が130だった。230からだいぶ下がったので、安心してもらえると思う」と言った。「胃薬も飲んでいる。一昨年の暮れ、食欲がなく食べる量が減った。胃薬を飲むようになってから、胸やけ、胃もたれがなくなって食べられるようになっている」
 ポッケトカイロの所持は、認められなかった。「残念だったね」と言うと「徳島刑務所のカイロの所持の基準は「75歳以上、体重40キロ以下」だと言う。「基準を変えさせなければ」と話した。刑務所が認めない理由にあげている「貧富の差が出来るというのも、日用品と同じに、買える人は自分で、買えない人は支給するようにすればいい。理由にならないよね」と話あった。
 年賀状は、自前のものは、300通ぐらい届いている。事務局で作った9・6徳島刑務所包囲デモの写真がついている年賀状は、写真を墨塗りした状態で371通届いた。文字を墨塗りしたもの47通、その後さらに17通届いている。「奪還」という文字も丁寧に消されている。合計735通ぐらいの年賀状が届いたことになる。「今まで以上に、気持ちが伝わってくる。獄外との距離感がなくなっている」と文昭。沖縄と群馬からの年賀が多かった。小学生からの正月の風物を描いたはがきもあってうれしかったそうだ。「年賀状作戦としては、大成功だった」と文昭は言った。
 埼玉志木でのDVD上映と私の話をメインとした集会と絵画展、感動的な集会として大成功したことを伝えた。

 18日
 2日目の面会。宅下げした「暁子と行く韓国の春、連帯の春」という絵を見ながらの面会だった。「徳島の元木美起子さんの韓国みやげのの絵はがきを見て描いたんだ。ちょうどクリスマスイブに出してくれた。春は、僕が一番好きな季節。昔は秋だったけど、ここに来てからは、春が待ちどうしいからね。今の情勢の中で、民主労総と一体で闘っている。日韓の連帯感をこめているよ。民主労総の闘い、トルコの闘い、身近な存在になっているよ。世界の労働者はひとつだ。自分の中でも一つの闘いとして受け止めようという意志が働くよ」。
 2・14労働者集会の報告として、「田中委員長が、直接JRに責任をとらせる新しい署名運動を提起した」ことを伝えた。「動労千葉が、不当労働行為
を認めさせて追いつめている。歯をくいしばって闘ってきた成果だ。動労千葉、動労水戸、動労総連合の闘いは、団結して闘えば解雇撤回できる、世の中を変えることができることを認めさせた。星野とともに、国鉄の闘いがすべての人々の希望として光輝く」
「沖縄でも、命がけの闘いが繰り広げられている。沖縄の人たちの気持ちとして、本土の人がどこまでわかってくれるのかという思いがある。獄中で闘いぬく星野が希望となる。星野も、爆発過程に入りつつある。僕も、芦野さんに励まされて、絵を丁寧に描くようにしているよ」と文昭。


 19日
 徳島刑務所行動の日。戸村裕実さんと鎌田由子さんの面会が拒否されたことを残念がっていた。
 すぐ間近まで来てくれている一人ひとりへのメッセージをもらった。それをみんなに伝えることができた。固い団結が造られた。