星野暁子さん面会日記
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2015年 9月1日~7日

 「みんなの声が聞えたよ」

 9月7日 720人での徳島刑務所包囲デモの翌日、差し入れ行動の20人と一緒に徳島刑務所に向かった。弟の修三さん、連れ合いのゆかりちゃんも一緒に面会に臨んだ。今回は、前回断られたゆかりちゃんも許可になった。
 昨日の声が聞こえたかどうか尋ねると、「聞こえたよ。不当逮捕された街の二人のアピール、『星野さんに続いて、完黙非転向で闘えた。星野さんがいるから闘えた』というアピール、うれしかったよ。『受刑者のみなさん、頑張ってください』もよかった。「ソリダリティ」も聞こえて歌詞を改めて憶え直した。インターナショナルも聞こえたよ。うれしかったよ」そう、文昭が言った。「文昭。みんなで迎えにきたよ」と私が叫んで、辻川慎一さん、平良修さん、青柳葉子さんらが、文昭に直接アピールをしたことを伝えた。みんな泣いていたことも。

 

 「獄壁がだんだん薄くなっているのを感じている。今日の行動があってなおさらだよ。こういう情勢になって、戦争に反対して、無期を強いられている星野の闘いと、職場、地域での闘いが、ひとつになっている」
 修三さんは、「札幌に戻ってから、ゆかりちゃんといっしょに、集会はじめいろんなところに顔を出している 」と話した。「修は、地に足がつかないところもあったけど、ゆかりちゃんといっしょに、地に足をつけて頑張っているようでうれしいよ」と文昭。
 「修ちゃんといっしょにパフォーマンスで太鼓をたたいている。修ちゃんが自分なりでいいと言ってくれるので」とゆかりちゃん。楽しい家族面会のひとときになった。
 文昭にしっかりみんなの声が届いたことを報告した。みんなは本当に嬉しそうだった。文昭に初めて会った感想を聞かれてゆかりちゃんは、「イケメンでした。すてきな方でした」と一言。

「獄壁が薄くなった」
 9月1日 杉並で前日までやっていた文昭の絵画展の報告をした。「穏やかで、やさしく美しい。すばらしい」と言う感想。詩も感動したという人がいて、「自分の書いている現代詩は、いったい何だったんだろう」と言っていた人。「安倍政権はつぶれる。そうすれば星野さんも解放される」との感想も伝えた。
 カレンダーに必要なあと一枚の絵は、「米沢の百合園にしようと思っている。シルバーウィークに描く」と文昭。「忙しい日々、暁子を癒すために」などと書いて寄こしていた絵の表紙は、先月から禁止になった。残念だ。刑務所は、なぜ人の気持ちを引き裂くようなことばかりするのだろう。

 文昭は、8月におこなわれた全国10箇所の絵画展全部のビラをほしがった。大阪の八尾では、毎日佃さんが会場へ通ってくれたことを喜んでいた。栃木では、文昭が知っている「大橋さんが中心にやってくれてうれしかった」と言っていた。宮城では高経大出身の野田さんの奥さんと鈴木さんからたよりがあったと言う。大阪・豊中の南谷さんからは、「水道の組合に署名を頼んで、2組合から百数十の署名を送ってくれたそうだよ」と文昭。「三里塚の闘い、僕にとっては大きい。成田での絵画展、どうだったんだろう」。反対同盟のみなさんも見にきてくれたことを伝えた。
 6日のデモへの口頭アピールには、「星野と国鉄が切り開いてる力をもってすれば、安倍政権を倒せる。その力で闘えば、星野奪還も可能だ」とあった。
 2日 2回目の面会
 「壁が薄くなったのを感じているよ」「最近、みんなとの一体感を感じるようになっている。情勢がそうなっているということもある。戦争に向き合って闘うことの素晴らしさ。それによってみんなが未来に希望を持てる素晴らしさ。みんなが星野に出会って、星野闘争を核にして頑張っている。ひとつに団結している素晴らしさ。戦争は労働者民衆を分断することなしには進まない。分断を乗り越えて闘えば、彼らは破綻するしかない」と文昭は言った。
 4日 4回目の面会
 革共同の天田三紀夫書紀長が面会にきてくれた。文昭に会うことはできなかったが、思いは十分に伝わっている。
 「みんなの顔も思い浮かぶ。『今日も一日頑張ろう』というのが、毎朝の目標になっている。全世界の労働者人民とも一体感を感じるようになっている。同じように新自由主義の攻撃と闘っているからね」。こういう気持ちになったのは、最近のことだと言った。
 5日間の面会と3日間の充実した闘いを終えた。