星野暁子さん面会日記
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2015年 6月22日~24日

 獄壁が一枚一枚薄くなっていくような気がする

 文昭がかゆみと格闘している全身の吹き出物が「かいせん」であることがわかったのは、3日目の面会・6月24日だった。皮膚の専門医が来てくれ、虫めがねで診断してくれたそうだ。
 「ここに来る医者は、受刑者を相手にしているからでもあるんだけど、つっけんどんな人が多い。その人はちがっていて赤ひげ先生のような医者なんだ。『きれいに治してあげますからね』と言ってくれたよ。治療方法はまだ聞いていないけど大丈夫だろう」と文昭。病名がようやくはっきりしたので、私もほっとした。「みんなやりたがらないけど、古いブーツをほごして作り直す作業をやっている。原因はそれ以外思いあたらない」と言った。びらん性胃炎も癌とは関係ない、異常なしであることがわかった。
 私の方から6・7労働者集会と埼玉で開かれた沖縄集会の報告を伝えた。文昭は「安倍は、岸がやったことと同じことをやろうと思っている。悪いなんて、全く思っていない。テレビ中継で6・23の式典を見ていたら、翁長の話を不快そうに聞いていたよ」
 そして、「獄壁が一枚一枚薄くなっていくような気がするよ。今、毎日充実感を感じながら、過ごすことができている。暁子のおかげだ。これからもよろしくお願いします」と改めて文昭は言った。
 宅下げしてくれた今月の絵は、「インドネシア、漂海民バジョの少女、洗濯の帰り」という題名だった。「子どもが洗濯を終えて戻るところ。働いている子どもの絵を描くのははじめてだ」「いつもの笑顔じゃないけど、いいんじゃない」と私は言った。
 

 無期攻撃に負けない闘い
6月22日
。一日目の面会。郡山の橋本光一さんが星野の闘いと生き方を主体化することで、動労総連合をつくるという立場に立つ飛躍をなしとげたという話を伝えた。
 「三浦半島教組の葛本さんの手紙にもあるけれど、闘いの中で自分たちに世の中を変えていく力がある、そういう意識を取り戻している。そういう闘いと僕の闘いは一体だ。彼ら(権力)のカードとしては無期という最強のカードを出してきたけど、それに負けないで労働者人民の持っている力を信じて世の中を変えていく闘いを担っている。そこにみんな感動してくれている。同じところに留まっていたら後退してしまう。絵画展を全体の闘いの団結を強めるものとして、とりくんでくれているのがうれしい。橋本さんの講演録楽しみだ」と文昭。 

 23日 お天気は曇りで、ちょうどいい暑さだ。大阪の吾郷さんから絵画展報告の手紙とみんなの感想文が届いたということで、うれしそうに紹介してくれた。「労働運動をつくることを目標に吹田市、高槻市の4箇所でやった。吹田の日教組の大会に合わせて、近くの会場でやった。絵画展のチラシを大会の資料に入れてもらった。
 文昭と共に沖縄闘争に決起し、機動隊に虐殺された永田典子さんの闘いがあるから、共感があったのだろう。200名の参加、百数十の署名、『愛と革命』も9冊売れた。高槻医療福祉労組の運動のテコになったというのはうれしい」と語った。
 この日も橋本光一さんのことが話題になった。「橋本さんが、そういう形で取り組んでくれたことがうれしい。大感激だ。3・11以降福島の軸として闘い、今年の3・11は代表的人格として登場している。その彼が星野と向き合って自分自身のものにして、運動を飛躍させながら取り組んでくれたことがうれしい。福島の労働者民衆の闘いを信頼する。その力ですべての労働者民衆とひとつにつながりつつ、すべてを解放する新しい社会をつくっていく、その道筋を示せるのは、我々しかいない。この道筋が福島のすべての人をとらえる。絵画展、その大きなテコになってくれればうれしい」。

 24日、25日。絵画展のアンケートが、直接一人ひとりと話しあっているようなリアル感があると言っていた。「今までの積み重ねの中で、化学変化が起きて心に響く。絵に留まらず、僕らの闘いの中身を理解してくれている」
 広島の絵画展。「大変な思いをしているにもかかわらず、笑顔を見せてくれていることに、世界はこんなに美しいと思える絵でした」こんな感想を紹介してくれた。
 獄壁が薄くなってきたと文昭に感じさせる全国でのしっかりした絵画展の取り組みの進行があった。取り組んだ会、みんなからの感想がほしいと言っていた。「東京での絵画展と集会も楽しみだ」と、言葉を添えた。