星野暁子さん面会日記
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2015年 4月27日~30日

  「今回は最高の面会だ」

 4月27日、文昭の69歳の誕生日に面会を合わせた。「面会室に来るまで、ツツジが満開だよ」と私が言うと、「日当たりがいいから獄内より早く咲くんだね」と文昭。
 「杉並区の区議選で北島邦彦さん、1998票、26票差で次点だった。本当に悔しかった」と報告した。「自分がもっと頑張っていたらって思うような結果だけど、今回の選挙は以前のような選挙とは全く違う選挙だ。入れてくれた1998人の意思を大切にして、本気で世の中を変えていく力にするということだと思う」と文昭は言った。
 69歳の誕生日を迎えて、健康を大切にして欲しいと、改めて私は言った。文昭は「暁子が体調を崩したのは3回目だけど、そのたびに暁子と向き合うということをやってきた」「今回のは、文昭に何か不満があったり、意見があったりというのではない。本当に薬を飲まないことが原因だった」と私が言うと、「快調すぎて、薬を飲まなくても大丈夫だという気持ちがあったと思う。これからのことで言うと、二人で生きているということを今まで以上に大切にして、丁寧に思いを伝えあって生きたい」と文昭。
 弟の修三さんのことが話題になった。「1月に一緒に面会に来てくれたゆかりちゃんが自分を表現する場を作っていくことが修三にとっても大事だ。修は、やさしい人間だから、やっていくだろう」と文昭は言った。
 そして「体調のことは考えなければならないけど、暁子が発言していくことは、自分の表現の場として徐々に元に戻してほしい、これは僕からも言っておきたい」と言って、誕生日面会を終えた。
 


 
全国で活気溢れる絵画展
 28日
、2日目の面会。私が2度目に出したクラシックの伴奏つきのオルゴールカードをはじめ、いろんなカードが届いたそうだ。
 
「徳島救う会の絵画展も昨日から始まって、若い人たちが来ていると報告した。その中で「心を和ませる絵を描く人を40年も閉じ込めておくことは許せない。自分でよければ何かできることがあればやりたい」と言っている青年がいたことを伝えた。「僕らの運動の内容を出して働きかけさえすれば、いい反応を返してくれる人はたくさんいる」と文昭。全国で星野絵画展が次々と開かれていることを伝えると、「ビラを見ても、一年前とは全く違っていることがわかる」と、全国での開催を喜んだ。
 沖縄万人の会も、1万5千枚のビラを作り、規約まで作って懸命に星野絵画展を成功させるために頑張っていることを伝えた。担当の和田邦子さんから手紙が来ているそうで、「シーミー祭で親戚に星野のことを訴えた人がいる、教会の名前で賛同してくれたところがある。みんなの星野を取り組む意識が変わってきた。星野の力の大きさを感じているとあったよ」


 僕たちの闘いは希望だ
  4月13日、14日、山形の「かがやきの丘」にいる母を訪ねたら、母が「来てくれてありがとう。うれしい」と言ってくれたと私は話した。「お母さん、心配していたんだろう。会えたことが本当にうれしかったんだろう」と文昭。
 30日。「今回は最高の面会だ」と文昭は言った。いい笑顔だったと。「暁子が一歩一歩健康を保つために生活のリズムを作りつつ、運動に関しても広げてきている。それは僕にとっても土台になっている。暁子が入院している時は、体に力が入らなかった。今は、一日一日を大切に過ごしているのが伝わってきている。自分も前向きに生きられるようになっているよ。動労千葉、動労水戸に入れば不利益を受けるというのではなく、解雇も撤回できると流れが変わってきた。星野もこんなに奪われても信頼しあって生きられることを示す闘いとして希望になっている。互いの力を信じて前向きに一歩一歩だね」と言った。
 低体温症の文昭には、医師の診断のうえ湯たんぽが必要であると、申し入れをおこなった。
4日目の面会では、宅下げした笑顔のインドの子どもたちの絵について話した。カースト制、貧困のなかで、乗り越えて明るく生きる子どもを描いたと文昭。
 腕や胸などの吹き出物は、薬を換えてようやく治り始めているようだ。胃カメラを飲んでの検査でびらん性胃炎であることがわかった。