星野暁子さん面会日記
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2015年 12月8日~10日

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 12月8日 面会は、寒冷アレルギーの話から始まった。寒くなると湿疹がひどくなるのだ。「夜かゆくて目が覚める時がある」「毛布が配られ、それを使うとかゆくなる気がする」と言っていた。消毒は、「工場のほとんどが疥癬(かいせん)でやられているところは、やっているんだろうけど、僕の工場ではやっていない」ということだった。1人でもいれば、消毒をしなくてはならない。これも、申し入れ事項に入れようと思った。

ポケットカイロは実現の兆し
 処遇主任が、何人かの無期の受刑者から話を聞く場が設けられたそうだ。ポケットカイロのこととヒートテックの話をしたら、「工場担当に聞いてみるように」と言われた。その後工場担当に聞いたら、「1月4日の願箋(がんせん)で書いて出すように」と言われたとのことだった。ポケットカイロは、ようやく実現の兆しが見えてきた。「インフルエンザ対策で、ふとんをかぶってもいいことになったのは助かるけど、絵を描いたり、手紙を書いたりはできなくなる。ポケットカイロが実現したら助かるよ」と文昭は言った。
 11・29星野全国集会について話してから、『星野新聞』を月2回発行することになったことを伝えた。「戦争に反対して無期、こんなのはおかしいと直球でみんなに届くようになった。絵画展にも、1万人もの人が来てくれた。初めて知って何とかしなきゃという気持ちになり、負けていない姿が希望にもなっている。新聞の発行はまたとない飛躍のチャンスになる。若い人にも期待したい」と文昭。


 
ルネッサンス期の宗教画に等しい
 9日 秋田の画家・芦野雅春さんが、文昭の絵の感想を載せた通信を文昭に差し入れしてくれた。「コピーを見ても感じるところはなかったが、原画を見て衝撃を受けた。文昭さんが一筆一筆魂をこめて描いていることがわかった。文昭さんの絵は、ルネスサンス期の宗教画にも等しい」と言ってくれたことに、とても激励されたと言っていた。「背中を押してもらったので、次の絵もいい感じで描けた」
 「戦火の姉弟、共に未来へ」という題の絵だ。「姉の方も服も髪も血まみれで、泣いている写真だったが、姉はよみがえらせて、泣いていない顔にして描いたんだ」と文昭。来年は、余裕を持って1カ月前から描くようにしたい、2〜3日前にギリギリで仕上げる事が多いからねと、言っていた。



 10日 3日目は、午前中面会だ。「身体的には、ものすごく元気だよ。卓球、ソフトボールをやったりして、前より身体が動く。精神的にも、より若くなっているよ。来年70歳になるけど、年齢に見合った気がしない」。 この1年、放っておくと戦争にいってしまうと、1千万の人々が立ち上がった。戦争に反対して無期になっている星野への弾圧を許さない、一体の問題として受け止められるようになった。絵画展を通して、人のつながりが出来、団結が強まったと話しあって、今年最後の面会を終えた。