星野暁子さん面会日記
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2015年 10月5日~7日

      文昭を階級の魂とし必ず取り戻す

 10月5日。会うなり「疲れがとれたようだね。本来の暁子らしくなってきた」と文昭。9月の面会の時は、ちょっと疲れて見えたようだ。
 「徳島刑務所包囲闘争のことは、手紙もはがきも全部墨塗り。『前進』など新聞やパンフへの記載は、全部切り取られて、裏面はコピーで配布されているよ」と言うので、高揚したデモの様子をもう一度伝えた。
 正門前で、巨大な文昭のパネルがみんなを迎えたこと。私が「文昭、迎えにきたよ」と叫んだこと。辻川慎一さん、平良修さん、青柳葉子さん、「街」の二人が、直接文昭に呼びかけたこと。みんな泣いていたこと等。文昭には、「街」の呼びかけは、よく聞こえたようだ。みんなで歌ったソリダリティとインターナショナルも。他は、ところどころ聞こえたようだ。作りだされた団結と一体感は、十分伝わっている。
 文昭が「国鉄と星野の地平を持ってすれば、安倍は倒せるし、星野奪還も可能だ」と呼びかけたことに対し、星野を階級の魂として、職場や地域で星野に続いて闘う、星野を必ず取り戻すとみんなが答えたデモだったのだ。
 国会闘争の話になった。逮捕者は25名。徳島刑務所包囲闘争を闘った全学連が、先頭にたったことも伝えた。鉄柵をつないでいるロープを切るためにカッターナイフを持っていた80代の女性が逮捕されたという話を伝えると、文昭は「経験を積んだ人がやっているんだね。ザックに石をつめて持っていた人がいたことが報道されていたよ」と言った。
 「これからだと、みんな言っている」と私が言うと「自分たちの未来がかかっている。このままにするわけにいかないとみんな思っている」と文昭。


 
治男さんと一緒の面会
 10月6日 2日目の面会。この日は文昭の兄の治男さんといっしょの面会だ。治男さんは、「再来年30年ということもあり、再審と両立して仮釈放を進めていったらいいのではないか」と会うなり話した。「仮釈放自体が、今本当に難しくなっている。マル特無期
の問題もある。自分が無期の政治犯だということもある」という文昭に、「政治犯なんて言っているけど、具体的に何かあるのか」と治男さん。「家族として訴えるのは、まちがっているとは思わない」と文昭。「中村巡査の死に対して、哀悼の念を表現すべきだ」と
治男さん。 
 手紙によると文昭は、「政治犯ということで何かあるのかと治男は、言っていたけどやっぱりあるんだ。進級が遅いのもそのうちのひとつだ。世の中を変える闘いと一体に闘い、再審で追いつめ、仮釈放のように判断を向こうに任せるのではなく、出さざるを得ない状況をつくって、釈放を勝ち取ることだ」と言っている。



 納得いかない降格処分


 10月7日 「バッチ変わったのわかる? 2類から3類になったんだ。A、B、C、D、Eまで評価があって、A、Bは、刑務所から見てほめられることをした場合。Cは注意、D、Eはマイナス評価。半年でDとEが2回あった場合は、降格になるんだ。僕の場合、仕事のことで受刑者が話しかけてきたことに、許可なく返事をしたことでE評価。配膳の時、新聞を片付けていたのを読んでいたと見なされてD評価。それで3類になった。そういうふうになること自体知らなかったし、納得はいかない。来年4月まで、面会は3回。手紙は5回になるよ」と文昭。
 全国から抗議を組織するけど、3回の面会を大切にしようと話しあった。
 降格処分のこと、手紙、文書の墨塗り、絵の表紙への書き込みの禁止について、申し入れをおこなった。本田庶務課長が対応した。
 降格処分と向き合って、改めて文昭とともに生きることを大切にしたいと思っている。そして、私の持てるものすべてを、文昭をとり戻し、そして労働者が主人公として生きられる社会をつくるためにかけきりたいと思っている。私自身の自己解放は、星野解放と全労働者解放の中にある。