星野暁子さん面会日記
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2013年 12月11日~13日

   「人の苦しみを共有するというのがが僕の原点」

  12月11日
 風の冷たい日だ。いよいよ寒さとの闘いが始まっているだろうと思いながら、刑務所に向かった。文昭は元気だった。「手紙でも書いたけど、『愛と革命』が読まれたことで、文昭=暁子闘争がみんなの中に主体化されたんだよね。本当に一人ひとりの発言がすごくよかった」と私が言うと、文昭は「僕もここまで来れるとは思ってなかったよ。みんな本当によくやってくれた」。
 「九州、岩手、相模原の絵画展・集会もよかったよ。相模原で聞いたけど、涙を流して絵を見てくれる人がいるんだね」と話すと文昭が具体的に知りたがるので、聞いた話を全
部伝えた。
 「文昭といっしょに生きることを選んだことで、私も孤立して、その中でもなんとか理解してほしいというアピールが多かったけど、今は文昭といっしょに生きてきた27年を、みんなの生きる拠り所として、いっしょにつくって行こうというトーンになっている」と私は話した。文昭は、「それは僕にとってもうれしいことだ。地道に闘ってきたことが花咲いたということだ」と言った。


 12月12日
 山川さんが持ってきてくれたナンテンの実を文昭に見せた。
ゆずも、見せようと思ったが、食べ物は駄目だと受付で言われた。宅下げした絵、『悲しみのりこえ、心に希望の船を浮かべる』の絵を見ながら話した。『ディズ・ジャパン』の
写真を見て描いたという、西アジアの少女の絵だった。バックに戦火で燃えている家々が並んでいて、空に希望の船が浮かんでいる。文昭の願いがそのまま絵になっている。
 12・1集会での辻川さんの話しが話題になった。「国鉄闘争は、一体である星野を奪還することで自己を貫徹する」と話されたと伝えてあった。文昭は、「辻川さんがそこまで言ってくれた」と感謝した。そして、「中曽根が、戦後総決算と称して、分割・民営化と星野無期をかけてきたことに対し、闘いとしてつぶすことができなかった。現在も、秘密保
護法、改憲攻撃で声もあげられなくしようとしていることに対して、つぶされないで残っていることが大きい。70年を引き継ぎ発展してきた闘いがあるから、連日のように万の規
模で、労働者民衆が闘うことが可能になっている。安倍のやっていること、やろうとしていることが、国民を幸せにしないことに、労働者民衆は気づいている。秘密保護法の施行
まであと一年、安倍の支持率はもっと下がるだろう」と言った。

 12月13日
 3日目の面会は、教育処遇日で仕事は休みの日だった。今年最後の面会だった。2回目の徳島刑務所包囲闘争をやり、2回の全国集会をやり、本を出版した。ジャパン・タイムズにも大きく報道された。
「飛躍の一年だったね」と言い合った。
 健康のことを聞くと、「調子はいいよ。風邪はもうひいたから免疫はあるし、インフルエンザの予防注射もやっているからね」と文昭。
 中学時代生徒会でいっしょだったOMさんから手紙をもらったとうれしそうに話してくれた。生徒会で一緒だった友人もカレンダーを買ってくれたと言う。「僕らが腐らず地道な闘いをやっていることが道を開いている」と文昭は言った。
 鈴木コンクリート分会の吉本さんが、「人の苦しみを共有するのが労働組合なんだ」と言っていたと伝えると、文昭は、「徳島刑務所デモで、『プサン港へ帰れ』のリードをやってくれた人だね」と、覚えていた。「私の闘いも、文昭の無期の苦しみを共有するというのが原点だった」というと、文昭は「僕の闘いも、人の苦しみを共有するというのが原点なんだ」と言った。文昭がいつも言っている闘う人の場に身を置くというのは、そういう意味なのだ。大事な話も出来た充実した面会だった。