星野暁子さん面会日記
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2013年 7月9日~11日

     新たな出発の日
 7月9日、快晴。いつも送迎をしていただいている山川英之、洋子夫妻が持ってきてくれた大きな赤いゆり、オレンジの小さな花、実のついたすももの枝の花束を持って面会室に入った。「暑いね。元気だった?」「元気だよ」と文昭。花束を説明しながら、ガブリとすももをかじってみせた。看守に注意されないよう急いで食べたせいなんだろう、文昭は「みごとな食いっぷりだ。惚れ惚れ見ていたんだ」と言った。「私が食べるのを見たのは初めてだって、面会日記に書いたでしょ。評判になってたよ。私も文昭が食べるのを見たことはないんだよ」と言うと「僕は食べるのが遅いんだよね」文昭はきっと兄の治男さんから聞いたとおり、ゆっくりとして食べるんだろう。
 荒川問題の話しになった。文昭の共同被告荒川碩哉が18年にもわたって、権力のスパイをやっていたことが摘発されたのだ。「荒川に対しては、一日に何度も何をやっているんだとひとり言を言ってしまう。生命がけの闘いを権力に売ることに対して良心のかしゃくもあっただろうけど、自分の能力をフルに使って、徹底してごまかした。暁子が6・30集会で怒りを表明してくれてうれしかったよ。人間には誰にでも弱点はあるけど、人間として一線を越えてやったことは許されない。弾劾されなきゃならない」と文昭。
6・30集会に感動
 6・30の東京での全国集会のことは手紙でも伝えてあったが、650人が集まり、感動的な集会として勝ちとられたことを報告した。「みんなからも報告が届いているよ。暁子が発言の最後に、泣きながら『ありがとうございます』と言ったことに感動したと桂木さんの手紙にあったよ」
 面会2日目。この日も暑かった。グラジオラス、ブルベリーの花束を持っていった。ブルベリーを食べて見せた。「甘いの?」と文昭。「すっぱい」「熟して実が落ちてくるようになると甘くなる」と、思わず立ちあいの看守が言った。
 血圧は80―141。少し高めだからまたリンパ運動をやらなきゃならないねと話した。吹き出物は、7個しかないと言う。「治ったところにも薬をぬるようにしている。それがいいようなんだ」と文昭。
 茨城の菊地牧師から、動労水戸の辻川さんからすすめられたということで、ナザレ幼稚園で新築の講堂のおひろめとして文昭の絵画展をやったという報告の手紙が来て、とてもうれしかったと語った。
 この日宅下げした絵は、「新たな出発の日に、27回目の結婚記念日に暁子へ」という題のバラの絵だった。「結婚記念日というと、僕の場合癒しになるんだ」「新たなというのはどういう意味なの?」と聞くと、「荒川のことがあるからね」と文昭は言った。

荒川を弾劾
 面会3日目。「暁子はホテルでクーラーがあるからいいけど、夕べは熱帯夜で、うちわでパタパタしながら、いつ眠ったかわからない」と文昭。話しは荒川問題だ。「渋谷闘争に対する弾圧の激しさはあったよね。文昭は死刑求刑で拘禁性ノイローゼを発病、奥深山さんは統合失調症で免訴の闘い、荒川は18年間、権力のスパイだった」と私が言った。「当時は、弾圧された当事者が頑張るという従来の方針で、弾圧に見合った救援の体制を作らなかった。弾圧に対応できなかったことで、僕も病気になった。荒川は組織に不満を持ったまま下獄し、また出獄した。僕は病気になったところから、自分の弱点をひとつひとつ乗り越えてきた。暁子と
いっしょに。そして今、救援の体制がようやく出来て、すべての人の解放をかけて闘う内容と体制がつくられるようになった。荒川は、はした金と引き換えに自分の人生を台無しにした。Mさん、Sちゃんの頑張りが生かされるようにしてほしい」と文昭は言って、3日間の面会を終えた。