星野暁子さん面会日記
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2013年 5月13日~15日

団結し、無期の分断打ち破ろう

 5月13日、快晴。暖かい日だ。風呂あがりの文昭は、さっぱりした顔をして、ゆっくり面会室に入ってきた。元気そうだ。「70年安保・沖縄決戦と星野闘争の内容形成まだまだ弱い。文昭からも書いてみたら?」とすすめると、「書いてみるよ」と文昭。話したいことがたまっていたのだろう。一気にしゃべりはじめた。
 「70年闘争をつぶすねらいをもって、無期をかけてきた。分断して孤立させてつぶすことをねらってきた。無期そのものの持っている攻撃性、分断を打ち破って、暁子といっしょに生きて闘ってきた。獄壁としての分断、運動の中での分断、組織的な意味での分断があった。今、いいところまできている。団結論がある。団結論があったから、星野を三大決戦のひとつとして打ち出すことができた。38年も獄中に閉じ込めておいて、取り戻せていない運動の真価が問われる」。文昭は、そう言って一日目の面会を終えた。
 5月14日、運転をしていただいている山川さん夫婦が、文昭に見せるように、しゃくやくの花を持ってきてくれた。花を見た文昭が、「立てばしゃくやく 座ればぼたん」と言うと、傍にいた看守は「歩く姿はゆりの花」と言った。なごやかな雰囲気になった。
 沖縄への文昭からのアピールは、既にもらっていたが「18日から沖縄に行くから、文昭から訴えたいことある?」と聞いてみた。文昭は、情勢について話した上で「無期との闘いの中で、未来を開くためには何が必要なのか突き詰めてきた。僕自身のすべてを抹殺する無期に対して、希望となるものをつかみとってきた。資本主義が行き詰って、労働者人民の生命も含めて奪い尽くす状況になっている。僕らが無期との闘いの中で掴み取ったものが、みんなの希望になっていくと思っている。人間にとって一番大切なものは、人と人との愛情、きずなだったりする。自分に対しても非人間的扱いをされることを許さない。それに対して闘うことで、人間にとって一番大切な
きずなをもつことができる。日々、闘いの中できずなをつくりあげていく。希望の持てる道すじを切り開いていくということだと思う」
 文昭の獄中38年、ともに生きてきた27年で掴み取ったものが、今、生命まで奪われようとしている労働者人民の生きる希望になっていく。本当にそうだ! 自分に対しても、非人間的に扱われることを許してはならないのだ。


 暁子の闘いが僕の喜び
 5月15日。晴れ。文昭が宅下げしてくれた絵は、デイズ・ジャパンの写真を見て、母親を殺された子と抱きしめる父を描いたものだ。『イラク・バスラ、失った命と共に生きる』と題された絵。内臓が飛び出すような状態で亡くなった母親を求めて、子どもは毎晩泣くと言う。「父親のひげのあたりは、辻川さんに似ている。辻川さんへの思いも重ねて描いたんだ」と文昭。バックの赤は、闘いの象徴だと言っていた。
 「ゆうべ、暁子が13日にホテルで書いてくれた手紙が届いたんだ。片山さんが『暁子と僕はすべてあって、いっしょに暮らすということだけがない。でも、それも補いあえば満たしあうことができる』って言っていたって書いてあった。暁子の近くにいて客観的に見ているんだね。僕も、暁子といっしょに暮らせないことを埋めるために、週一回は暁子といっしょに過ごす日を作っている」と文昭。ナチスの収容所の中で、同性愛者が見張られている中で、言葉で性的にも愛し合う「ベント」という芝居を見て、感動したと伝えた。心でも体でも愛し合うことをあきらめずにやっていこうと確認しあった。
 「暁子との関係が安定しているからね。暁子の最近のアピールは、僕が学ぶこともある。僕の言いたいことも含めて、暁子が僕の代理というだけではなく、暁子自身のアピールとして、あちこちに行って話しをしてくれる。それが、今の僕の最高の喜びだ」と文昭は言って、3日間の面会を終えた