2013年 4月25日~26日
人間らしく生きられる社会をつくりたい
4月27日は、文昭の67歳の誕生日だった。この日は土曜日のため面会はできないが、24日から面会し、27日は徳島で誕生日を迎えようと、はりきって出発した。友人面会を求める群馬の伊藤成雄さんといっしよに飛行機に乗り込んだが、天候不良のため着陸できず、羽田に引き返した。伊丹からバスで徳島に着いたのは20時30分。この日は、面会できなかった。
25日、午前中の面会。伊藤さんの面会は認められなかった。24日に会えないことを知らせる電報は、夕方6時には届いたようだ。交友関係を刑務所に示すために文昭が手紙を出したのに、伊藤さんが面会できないことを説明した。
「高崎経済大学出身者で、今も運動をやっている人は、少ない。荒川君の他は秋山君と伊藤君だけだからね。二人とも、目立つタイプではなかった。そういう人が残るのかな。伊藤君には、頑張ってほしい」と文昭。
4月18日から22日までの阿佐ヶ谷での絵画展、21日の星野集会の報告を、文昭は楽しみにしていた。386人が見に来てくれた「絵と詩展」の反響、81人が参加してくれた集会の様子を伝えた。絵の方は、月に一枚仕上げるのは、テンポが早すぎるのではないかと聞いてみた。文昭は「毎月面会のたびに、暁子に絵を贈るというのは、僕にとって大きなことなんだ。他に贈るものがないからね。だから、続けていきたい」と言った。 |
伊藤成雄さん 山川英之さん |
無償の愛
4月26日、午後の面会だ。刑務所の庭のつつじは、今年も見事に咲き誇っている。手入れがよくなされていて、丸く刈られた枝と葉の中の赤、ピンク、白の花々は美しかった。
文昭は、この日は「教育的処遇日」で仕事は休みだ。部屋の中で着ていた緑っぽい服をそのまま着て出てきた。24日に面会ができなかったので、もう一度面会を認めるか、面会時間を延長するかを求めたが、4月から代わった前田処遇首席に断られたことを伝えた。
文昭が贈ってくれた絵、『暁子、チェルノブイリを生きる子を抱きしめて』を見ながらの面会になった。「暁子は、代々木八幡で撮った写真から選んだんだ。子どもは、デイズージャパンから取った。このポーズの写真があるわけではないから、なかなか難しかったよ。今の僕の境地、人間として一番大切なものを得ている。その境地を描いたんだ」と文昭は言った。
「とてもいいんじやない」と私。「絵が淡くなってきている」と言うと、「僕の中では、毎年描いてきて、今淡くなっていることも含めて、一歩一歩進んでいると感じている」と文昭。そして、
絵画展でうれしいのは、いろいろな人の感想に励まされるけど、絵画展と他の運動か結びついて、さらに広がることだよ」と言った。
「安倍政権になって、本当に労働者もやっていけない状況に叩き込まれている。兄の治男は人間が人間ら生きられる社会というのは、抽象的だと言っているようだけど、人間らしく生きられない現状は現にある。非正規の問題もそうだ。そこから、人間らしく生きられる社会をつくっていきたい」
久しぶりに、あれもこれも話したくて、慌ただしい面会になった。誕生日のことも話したかったなあ。そういう時は、「無償の愛」ということを考える。そうすると、すべてを与え合いたくてもできない現実の壁がなくなるわけではないが、文昭がどれほど切実に私に愛を与えているかが見えてきて、愛に満たされる。「無償の愛」を貫くことで、受け取れないほどの愛を感じる。
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