星野暁子さん面会日記
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2013年 2月5日~7日

  「人間として最高のもの」を与えあう
 2月5日、晴れ。笑顔で面会室に入ってきた文昭に、杉並救う会の狩野裕子さんが面会を申し込んだけど不許可だったことと、徳島刑務所での寒さ対策を訴えて昼に駅前で座り込み街宣を行ったことを伝えた。
 22歳の次女を失った裕子さんに伝えてほしいのだろう、文昭は心を込めて話した。
 「忘れようとしても忘れられることではない。自分が親や大切な人を亡くした時は、その人の分まで、その人に恥じないようにと思ってきた。子どもに先立たれた親の気持ちはわからないかもしれないが、裕子さん夫婦にも、ハピちゃんと一緒にハピちゃんの分まで、ハピちゃんに恥ないように生きてほしい」と言った。裕子さんのアジテーションがとてもよかったと話すと、「前は、手紙でも『決めてやる』というような感じがしたけど、今は自然体でいい感じだ」と文昭。裕子さんの差し入れの本を楽しみにしていると言った。
 元気だったか、確かめると「元気だよ。刑務所にいると、獄外と分断されていることはあるけど、みんなの闘いの場に身をおいてということでやっている。寒いし、情勢との格闘があるから大変だけど、喜びでもあるし、やりがいでもある」と文昭は言って、一日目の面会を終えた。

 二日目の面会。人形浄瑠璃の阿波十郎兵衛屋敷に裕子さんといっしょに行ったことを伝えた。
 阿佐谷にある「木れんの家」で「幸徳秋水と安重根、そして石川啄木」という辛英尚さんの講演があったことを話した。幸徳秋水が伊藤博文を殺した安重根を評価し、石川啄木も韓国併合に反対する詩をつくっていること、「ココアひとさじ」の中の「テロリスト」は、安重根ではないかという辛さんの見解を話した。
 大逆事件の系譜、 韓国のチョン・テイルや、アメリカで犠牲者を大切にする伝統などについて私が話すと、「抗議の死は、美化するということではなくて、大切にしていかなくてはならない。僕らの時代でも、ベトナム戦争に反対して焼身自殺した由比さんの死は衝撃だった。星野だって権力者から見せしめにされるところから、闘ってきた本質をはっきりさせて、甦らせていかなければならない」と文昭。「そのための本づくりだね」と私は言って、二日目の面会を終えた。

 動労千葉・動労水戸にエールを送る絵

 
三日目の面会。宅下げした「春、朝陽のぼるつくばの野」の絵をみながら、2月最後の面会の会話もはずんだ。「つくば山を見ながら列車を走らせている動労水戸、動労千葉へのエールを送っている絵なんだ」
 1月に亡くなった共同代表の柴田作治郎牧師のことも話した。「北海道救う会の代表になったことで、カクマルから嫌がらせ、実際は大変だったんじゃないだろうか。『柴田が責任を持って引き受けます』とはじめて出会った暁子やおふくろさんに言ってくれたこと、感動したよ」
 私との出会いを振り返って、「『自分といっしょに生きてくれる女性がほしい』と最初に求めたのは、僕なんだ」と文昭は言った。「すべての人間が人間らしく生きられる社会をつくることで、自分も人間らしく生きることができる。その確信があったから、手を差し出すことができたんだ。必ず出られると思っていたし、人間として生きる最高のものを与え合うことができるという確信を持っていた」
 「人間として生きる最高のものを得ている」と文昭は言う。それは、何だろう。無期であっても愛し合い、奪われたものを奪い返しながらふたりで生きているということであり、そして多くの仲間とともに信頼しあいながら生き闘っているということ、すべての人が人間らしく生きられる社会をつくることで自分も人間らしく生きることができるーこの思想をふたりで生き抜いていることだ。文昭とともに生きている私も人間として最高のものを手にしているということなのだろう。