星野暁子さん面会日記
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2013年 1月9日~11日

星野のたたかいが若者を励ます
 1月9日、晴れ。今年はじめての面会だ。午後からの面会だったが、待合室は私ひとりだった。「おはよう」いつものように、あいさつをかわす。文昭は、みるからに元気だ。「年賀状は、310通ぐらい。今年はじめての人も多かった。具体的に奪い返すことを書いてくれたはがきも多かったよ。たとえば、前迫さん、どんどん暁子の発言が深みを増しているとあったよ」と文昭。
 国鉄、反原発と並んで、星野の運動の取り組みが強化されたことを伝えた。「星野の闘いが、現実的な闘いに押しあがってきた。位置づけがはっきりしたことで、全体の闘いの力になる」と文昭は言った。そして、「全証拠開示運動が大きな威力を発揮している。実際そこで切り開いているものを受け止めて、運動の取り組みの強化も実現している。弁護士層への広がりも素晴らしい」と文昭。お正月は、29日から3日まで、その間仕事は休みだった。学習を中心に過ごしたと言う。文昭へのたよりは、元日も正月期間毎日届いた。文昭からの手紙は発信できなかった。
 「毎日夕方一時間から二時間、2枚ぐらいずつ暁子に手紙を書いていた。それがよかった。毎日、暁子と会話していたよ。正月は食べ物がいろいろ出たし、紅白も見たよ」紅白は、ミーシャの「エブリシング」「明日へ」がよかったそうだ。ヨイトマケの唄も「感動したよ」と言っていた。
 使い捨てカイロが購入品目に今年から入ったことで、使えるかどうか文昭が確認したところ、刑務所の対応は、「しもやけができてどうしようもないなら考える」というものだった。いったんしもやけができると、一冬痛痒さに苦しむことになる。文昭は、しもやけができないように、マッサージをしたり最大限工夫している。しもやけにならないようにカイロの使用を認めるというのが本筋ではないのか。腹立たしい限りだ。

 手紙で届く職場の息吹
 10日、2日目の面会。風邪気味だったため、外套のない文昭には悪かったが、コートを着たまま面会に臨んだ。「去年から工場にストーブが2台入って、暖かく感じられる。ただ僕のいる場所は、シャッターのすぐ近くで荷物の出し入れのたび、冷たい風が入ってくるので、寒い」。特に、暖房のない舎房は寒い。「インフルエンザ対策で、休日は午前中2時間、午後2時間、布団をかぶってもいいことになっているけど、机に向かわないと集中できないから、起きている。我慢できなくなって、布団にもぐりこむこともある。今年は、平均が6?7度。0度以下になることもあって、今冬は特に寒い」。
 宅下げした「沖縄から命をもらうフクシマの子」という絵を見ながら、面会は続いた。「沖縄へ保養に行った子どもの写真が、デイズジャパンの表紙になった。とてもいい表情だったから描いてみたんだ。自分的にもいい感じでできた」と文昭。「解放感がでていて、いいね」というと、うれしそうに笑った。

 3日目の面会。婦人民主クラブ会員で相模原在住の石川紀子さんから手紙で、「星野絵画展のチラシを配っていたら、職場の人が通りかかり、それがきっかけで、いろんな突っ込んだ話ができるようになった」とあったと文昭は、うれしそうに話した。
 また、全国連の西田君から、首相官邸前で、「ナゼン(NAZEN)」と距離のある青年リーダーから、法政の学生への弾圧や星野さんへの弾圧は、党派を越えてみんなで取り組まなければならないと言われたと年賀状にあったと、ことの外うれしそうに話してくれた。
 「資本主義が行き詰って、若者の未来が見えない。賃金切り下げ、外注化、首切りが横行している。安倍政権が登場して、状況のきびしさが、負けていないことで、みんなのチャンスになっている。星野の闘いがつくっている内容は、若者を励ます。一番の希望になる。世の中を変えていく主体として、星野でも若者を獲得していこう。動労千葉の物販のように、絵画展と証拠開示要求署名で職場に入っていく。それが、今年一番大切なことだ」と文昭は言って、3日間の面会を終えた