星野暁子さん面会日記
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2012年 12月10日~12日

      星野を取り戻す闘いと
      世の中を変える闘いを一つに

 12月10日、寒い日だった。これから3ヶ月間、文昭は、暖房のない刑務所で寒さとの闘いの日々に入る。文昭は、元気だった。
 「ポケットカイロ、使えることになったの?」。使い捨てカイロが、購入品目録に入ったと手紙にあったので、まず聞いてみた。「必要と認めた場合、購入を認めると、書いてあった。」と文昭。
 カレンダーは、ようやくこの日、入ることになった。数年前から、カレンダーは入らないと言われたので、今年も暦を糊付けして差し入れたが、剥がされて差し入れできなかった。再度、スプレーでしっかり糊付けして差し入れ直した。看守は、「根負けした」と言っていたそうだ。
 私が送った徳島弁護士会の「勧告書」と西村弁護士が送った訴訟資料が入らない問題で、文昭は、「監査官申し立て」に続いて、「所長面接」もやったと言っていた。
 「星野を取り戻すことと、世の中を変えることを一つにしてやっていこうと思っている。ひとつだけやっていると、行き詰って駄目なんだよね」と私が言うと、文昭は「それはそうだ。自分たちがやっていることが、すべての労働者人民の未来を開いていくということで力が入る。自分たちのためだけやっていては行き詰る」と言った。

 話は、山本太郎さんが衆議院選挙に出たという話になった。「山本太郎は、頑張っているね。山本太郎の影響を受けて、反原発の運動を始めたという人もいる」と文昭。この情勢の中で、証拠開示運動が反原発運動と繋がりながら、広げやすくなっていると言った。
 文昭は、11・23星野全国集会の成功をとても喜んでいて、その報告を詳しく聞きたがった。仙台の青柳葉子さんの集会の感想を寄せた手紙も、うれしかったようだ。金元重さんの発言に感動したと、手紙に書いて寄こした。そして、カメラマンの大津幸四郎さんのことをよく覚えていて、大津さんが文昭のことを「(高崎経済大学の)自治会室に行くだけで処分されることが分かっていて行っていた」と語ってくれたことに感動したと言っていた。
 ポケットカイロのことは、申し入れで聞いたが、本人の申し出があれば伝えるということだった。


 11日、2日目の面会は、ようやく文昭の手元に届いたカレンダーのことを話しあった。今年は、絵も詩も、満足していると言っていた。色の出方など、詳しく話しあった。

  日々、勝利してきた38年
 12日、今年最後の面会。文昭が宅下げしてくれた傷ついたパレスチナの子どもを父親が抱きしめている絵「パレスチナ、嘆きを力にかえて未来を!」を見ながらの面会になった。京都の伊藤美子さんが差し入れてくれている「DAYS JAPAN」に掲載された写真を見て描いたと言っていた。「僕が闘っている根っこには、子どもたちが人生を失っていることに対して、持って生まれたものの花を咲かせることのできる社会をつくりたいということがある。暁子がこの絵に、どんな詩をつけてくれるかが楽しみだ」と言った。
 そして、今年を振り返って、感想を言いあった。「数年分の、充実した一年だった。今年のハイライト、一番うれしかったことは、僕の38年、いっしょに生きた26年が見せしめのための年月ではなく、解放にむけて無期に日々勝利してきた38年、26年だったと暁子が言ってくれたことだ。
 僕にとっても、みんなにとっても大きな励ましになっている。フクシマの人たちも、孤立した闘いからはじめて、そういうところを通ってきている。きびしさに負けてしまったら腐っていく。立ち向かっていくことで、人間として一番大切なものを手にしてきた。これから、ますますそうなっていく。その土台が出来た。
 非正規の現実、それと格闘しながら、それをはねかえして、みんなとの団結で新しい力をつくっている―これでやっていけるという確信をもてるようになっているのが大きい。学びあいながら、飛躍する。それができるのも、暁子が、僕のアピールを携えて、いろいろなところで発信してくれるからだ」と文昭は言って、一年をしめくくる面会を終えた。