星野暁子さん面会日記
TOPページへ!
2012年 11月19日~21日

 本物の団結と力をかちとり、勝利しよう

 11月19日。一年ぶりの、文昭の従兄・誉夫さんといっしょの面会だった。4月から、「指導票」が乱発されることはなくなった。「昨年夏行なった苦情申し立てが、効いているんじゃないか。医療暴動があって以降、『規則が緩んだから暴動が起きた』と総括をして、今までなかったような規則をつくって、しめつけにかかる傾向があった。そういうやり方は、ここで懸命に生きようとする人のやる気を削いで、むしろ逆効果になっている。そういう内容の苦情申し立てだった」と文昭は言った。
 誉夫さんは、「中での生活の様子を、一日単位、一週間単位、一ヶ月単単位で書いてみてはどうか」と薦めた。誉夫さんが、「文昭ちゃんが出るまで、頑張るから」と言って、一日目の面会を終えた。面会後、請願書を提出した。

  20日、2日目の面会。11月9日から13日まで行ってきた訪韓報告をした。文昭には、ソウルから毎日はがきを書いたし、長い報告の手紙も書いてあった。「朴独裁政権下の韓国での闘いは、『世界』の『韓国からの通信』で読んでいた。民主労総が日本に来るようになって、だんだん距離がなくなった。暁子も激励されたろう」と文昭。  

 カレンダーは僕らの到達点
 FUMIAKIKOカレンダーは、暦が見えないように糊付けして差し入れたが、糊がはがされた状態で宅下げになった。文昭には、アクリル板越しに、カレンダーを見せた。「見本より、色が出ているね。僕らの到達したものが、カレンダーに反映している」と満足したようだった。しかし、カレンダーを文昭が手にとって見れない現状は、許しがたい。面会から帰って、糊が剥がれない状態にして入れ直した。
 山形の施設にいる私の母について話が進んだ。「暁子といっしょに東京に帰る」と言ったが、こんなことを母が言ったのははじめてだった。
 「23日の集会で、文昭のメッセージを読むけど、一番言いたいことは何なの?」と聞いてみた。「暁子の言っていた僕の38年、いっしょに生きてきた26年は、見せしめではなく、無期をひっくり返すための38年、26年だというのが、僕らの率直な気持ちだ。暁子がそう言ってくれるのが、僕もうれしい。労働者階級の自己解放闘争と星野奪還闘争を一体に闘い、本物の団結と力を勝ち取り、勝利していこうということだよ」と文昭は言って、3日目の面会を終えた。