星野暁子さん面会日記
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2012年 7月10日~13日

 1日1日を大切に

 7月10日、この一ヶ月元気だったかどうか、確かめ合うことから面会は始まった。東京の官邸前に、次から次へ「普通の人」が集まっている状況をはじめに伝えた。文昭は、「15万、20万の人が集まってきている。
れはもう抑えることの出来ないものだ。日本もタハリール広場のようになるんだ。フクシマの人たちの怒りも収まらないだろう。必ず、これは職場の怒りに結びつく」と言った。
 3日、4日、5日、従兄の誉夫さんが一緒に米沢の母の見舞いに行ってくれたことを伝えた。母はとても元気で、「元気だね」というと「暁子たちが来ているから」と言ったことなど伝えた。その後、大河内次雄さんの案内で、宮城の南三陸や福島の南相馬、飯舘村を見てきたことを報告した。飯舘村に入ると、線量計は急激にあがった。美しい風景が続く飯舘村は、村おこしも成功してきたのだろう、誰も住まない中で聞く村民歌のメロディがもの悲しかったことなど伝えた。

 勧告書を渡さない攻撃
 「徳島弁護士会」が徳島刑務所に対して出した「勧告書」を文昭に送ってあったが、受け取っていないことがわかった。「一部抹消してもよければ入れるが、認めなければ渡せない」と言われ、「徳島刑務所を訴えている文書がそのまま入らないのはおかしいから、認めなかった。だから、入っていない」ということだ。

 3日目の面会。予定していたコンクールに出展するために描いている作品、「チェルノブイリの願い」は、持ってきて私に見せることはできなかった。不許可だったのだ。3年前に出展した絵が戻ってきて、宅下げすることが出来た。文昭は、「今見てみると、写実的に描かれていて、温かみがないので、書き加えた」と言った。そして「青柳さんを、今の情勢が前向きにしている。総会そのものが、よかったんだろう。今までの青柳さんとの面会の中で一番よかった」とも言った。
 「辻川慎一さんが暁子との約束で、僕にすばらしい内容の手紙をくれた。それを読んで、動労水戸の闘いがあったから、星野への共感も、2・5徳島デモの提起もあったことがわかった。動労水戸も、分割民営化の攻撃の中で、先の見えない中で一歩一歩切り開いてきた」と語った。
 面会の別れ際に「一日一日を大切にね」と文昭は言って、3日目の面会を終えた。

    精悍な生命力にあふれる文昭君
                   群馬・青柳 晃玄

 2006年6月、何十年ぶりかで彼と対面したとき、目の前に菩薩を見た。道の辻辻に立って人々が迷わないように道しるべとなる「地蔵菩薩」。その姿は私の脳裏に鮮明に焼きつき今も、消えることはない。
 以来、毎年6月が私の徳島訪問の「日課」。そして今年7月11日、1年1カ月ぶりだ。「精悍な生命力にあふれた、にこやかさ」を持った文昭君が居た。彼は間違いなく「菩薩」から『如来』に変身していた。一点の曇りもなく己を磨き抜いて真っ赤な血が全身にみなぎって居る〈文昭地蔵『如来』〉を見た!
 『3・30再審請求棄却!』新証拠をも突き付けて闘った再審闘争へのこれが司法権力の回答か。怒りと悔しさ如何ばかりか。 だが、対面した彼の中にはそのようなけち臭さはみじんもない。6・30総会へのアピール文で「自分は3・30攻撃に勝った!」と、文昭君は言う。アピールですべて語りつくしているあの中身をぜひみんなのものにしてもらいたい! 星野闘争は人民がそれぞれ、「自分が人間らしく生きていくための闘い」なのだ。
 「今までの面会の中で今日が一番良い面会だった」とにこやかに手を振りながら、文昭君は面会室から「連れ去られて」行った。