2012年 6月12日~15日
誰もが生きる喜びを持てる社会を
つくるために生きる
6月12日、雨の日の面会だった。文昭は、会うなり、私の着ているオレンジ系の服を見て、「派手でもなく、地味でもなく、似合っているね」とうれしそうに言った。「髪、切ったの?」「ちょうど、今日、床屋だったんだ」「五分刈?」「前に坊主刈にしたら、暁子に怒られたからね。
五分刈にしている人は、少ないんだ」
文昭の笑顔は、さわやかだった。腹に一物もない笑顔なのだ。私に会ったために、喜んでいるだけではない。文昭の生き方が伝わってくる笑顔だ。
「6月10日の集会よかったよ。去年より増えて1800人。田中委員長の発言、よかった」「この間、八尾北医療センターと学生、無罪判決が出て、勝っているということがあるからね」
ゴビンダさんの再審開始決定の日、高裁前に行っていたので、その報告をし、再審開始を喜びあった。 |
文昭は、いつも元気だね
6月13日、晴れ。「絵はどうだったの?」と文昭。「宅下げしてきたよ。いい絵だね」。湖に、木々が映っている北海道の美瑛の絵だ。「少し早めの結婚記念日に、暁子へ」とキャプションに書いてあった。「9月17日はまだなのに、どうして結婚記念日なの?」と聞くと、「こういうところを、結婚記念日に、暁子といっしょに歩いてみたいと思って描いたんだ。きっとするんだ」と文昭は言った。
文昭が送ってくれたみんなからの手紙とはがき全部に目を通したことを伝えた。「最近のは、心のこもったものが多い。2・5以降、手紙もはがきも増えてる」と文昭。
「仙台の絵画展、見に行ったけど、展示の仕方もとてもよかった」と話すと、文昭は「ビラもいいよね。被災地の人々を描いた絵と、暁子を描いた絵が載っている。ビラだけで人を獲得する力を持っている。絵画展は、普段我々が接することの出来ない人と出会わせてくれる」と言った。
「面会の文昭は、いつも元気だね。どうしていつもそんなに元気なの?」と聞いてみた。「たまに、本調子でない時もあるけど、いつもこんな感じだよ。明け方、うつらうつらしながら、いつも考えるんだ。人間にとって、何が一番大切なことなのか。人間は、誰もが人として素晴らしいものを持っていて、それを大切にする、人として生きる喜びを大切にして生きられるようにしなければならないのに、今の社会はそうはなっていない。だからそういう社会をつくるために生きるということなんだ。だれもが人として生きる喜びを持てるように生きる。そこで勝負する。暁子といっしょに生きる僕の姿勢もそうだ。だから、いつも元気なんだ」と文昭は言って、二日目の面会を終えた。 |
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あと2~3年、基本は同じ
6月14日、晴れ。この日は午前中の面会だった。「運動時間だったんだ。ちょうど、ジョキングして、汗をかいているところだった」。一日30分の運動時間、外でできるときは、ほとんどジョキングをやっているという。 一週間に一度、午前・午後15分ずつ内で運動する時は、大半は卓球をやっていると言っていた。 「体調はいい。吹き出物も、ステロイド剤を塗っているけど、暖かくなったせいもあってよくなってきている。血圧も、落ち着いてきている。心臓の痛みもない」と言った。「肋間神経痛だったかもしれないね」と私がいったら、「そうかもしれない」 「なぜ、僕が元気かということだけど、暁子がいてくれるからなんだ。そこから、暁子を大切にするには、どうしたらいいかを考えて自分の生き方も決めている」と文昭。
総会へのメッセージを聞くと、「世の中を変えようとしていることに対して、それをさせまいとして、無期がかけられている。無実だということに対して、棄却決定がかけられている。それがいかにデタラメかをはっきりさせて、暗雲を晴らし、6月30日、7月1日の総会は、総決起集会として勝ち取りたい。『あと2〜3年』は、少し延びるかもしれないけど、基本は同じく、あと2〜3年でと思っているよ」と文昭は言って、3日目の面会を終えた。
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