2012年 4月25日~27日
誰もが人間らしく生きられる社会を
暁子と共につくりたい
4月25日、晴れ。文昭の27日の誕生日に合わせて面会を設定したので、棄却から一ヶ月過ぎた面会になった。さぞやくやしい思いをしているだろうと思って迎えた文昭は、元気でさわやかだった。
『獄壁を越えて』を通しても伝わった2・5徳島刑務所包囲闘争をやったみんなの思い、棄却弾劾の各地での街宣、絵画展、4・13集会、それら一つ一つが文昭を大きく支えていた。
「つつじが面会室まで通ってくる道の両側に咲いていて、きれいね」というと、「中は、まだつぼみだよ。中の方が寒いのかな」と文昭。「再審棄却、残念だったね」と私が言った。「棄却になって、もう一ヶ月になる。ずうっと昔にあったことのような気がするよ。暁子が言うように、無期が確定した時の孤立感と比べると、今は運動があるから全然ちがう」「各地の救う会でも、すぐ反撃の街宣に取り組んでくれている」「京都の伊藤美子さんの手紙にも、泣きながら街宣に取り組んだとあったよ」と文昭。決定文は「誘導」を認めていると私が言うと、「他の冤罪事件だって誘導が問題になり、全面可視化を訴えている中で、誘導を肯定している。我々の闘いに追いつめられて、出してきた」と文昭。
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9月に理由書を提出し、証拠の全面開示の闘いを、より幅の広い陣形をつくる中でやっていくことを伝えた。「今ある証拠だけでも、無実であることは、充分言える。その上で、証拠の全面開示が必要だ」と文昭。『獄壁を越えて』は、「写真は、全部墨塗り。2・5に関することは、墨塗りになっているけど、筋がわからないほどじゃない。内容は、よかったよ。2・5は、合法的で、僕や受刑者を思ってやった闘い。取り締まる理由はない」と文昭。
西村弁護士との面会も、よかったと言っていた。4月の東京連絡会主催の絵画展・集会の報告と写真も届いていた。「岩井さんの話が、一番わかりやすい。棄却決定に反撃する集会としてよかったんじゃないか」郵政非正規ユニオンの齋藤裕介君が、「僕ら非正規には、希望がない。どこに希望を見出すかというと、獄中にありながら闘いのメッセージを伝える星野さんなんだ」とアピールしたことを伝えた。
「星野の闘いをそのように言ってくれるのは、とてもうれしい。星野の闘いをそういうふうに闘って、それがまた次の闘いをつくっていく。弾圧されればされる程、きずなを強めてやっていくということだね」と文昭は言って、一日目の面会を終えた。 |
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初めての誕生日面会
いよいよ27日。25年間、徳島に面会に通って、誕生日に面会を合わせたのは、今回がはじめてだった。「暁子が誕生日に来てくれたのが、一番のプレゼントだ。今日は、教育的処遇日で仕事が休みだから、いつもより余裕がある。ずうっと、一日中、暁子のことを考えて過ごそうと思う」徳島救う会からの寄せ書き、全学連の学生からの花束を見せた。
誕生日に互いに贈る言葉を言い合った。私からは、「まず、健康だよね。健康に気をつけてほしい。それと、人間が人間らしく生きられる社会をつくることと、文昭の再審・解放を勝ち取る闘いを一体で、文昭といっしょにやっていきたい。寄せ書きにも書いてあるけど、困難な無期の中で、屈しないで人間解放を訴えながら闘っている文昭から励まされる。
星野が希望だという人は、結構いるよ」と話した。「30分の暁子との面会を、何十倍にも大きくして、会えない時もいっしょに生きてる。最近一番自分が変わったことがある。資本家から奪われることから、とり戻して、誰もが人間らしく生きられる社会をつくる力を労働者人民は持っている。それを目指すなかで、暁子とも、みんなとも、いっしょにつくっている豊かさ、味わい深さを実感できるようになったことなんだ。そうできるようになったことに、暁子に感謝してもしきれないぐらい感謝している。そういうふうに生きることが、僕が僕として生きる本質を一番いい形で生かしてくれる、また、暁子が暁子として生きる本質を生かしてくれると思っている」と文昭は言って、66
回目の誕生日面会を終えた。
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