星野暁子さん面会日記
TOPページへ!
2012年 3月5日~7日

     楽しい語らいのひと時-家族面会
 3月5日、この日は文昭の兄の治男さんといっしょの面会だった。まだ肌寒かったが、刑務所周辺の梅が
咲き始め、春の訪れを告げていた。
 治男さんは、一年数ヶ月ぶりの面会だった。健康のことや家族・親戚のことが中心の面会になった。文昭は、「今年は、徳島に来てから一番寒い冬だった。65歳以上になると、マットレスが配られるんだ。背すじが寒くて眠れないということがなくなって助かっている」と言った。
 健康の話になった。「血圧が170になったことがあったけど、今は140ぐらいなんだ。一時期、2週間の間、工場で一日2回、血圧を測っていた。合わない血圧の薬を飲んで、亡くなった受刑者もいるので、薬を飲むことは慎重にしたい」と文昭は言った。水を飲むようになってから、心臓の痛みも頭痛もなくなっているとも言った。そして、吹き出物は、ステロイド剤を手抜きをすると悪化するので丁寧に塗っていると話した。

 治男さんは、叔父の四郎さんが亡くなったことを伝えた。「90歳。もう、そんな歳だったのか。沼ノ端に行って、車で送ってもらう時は、いつも四郎さんだったような気がする」と、文昭は懐かしんだ。
 治男さんと結婚した香里さんのことを、文昭は「治男は、自分のことではなく、香里さんが満足のいくようにしてあげなきゃいけない」と、弟なのに諭すように言った。治男さんも負けてはいない。「文昭も早く出ることを考えなきゃいけない。一緒に生活していると嫌なところも見えてくる。文昭と暁子さんだって離れているからいいけど、いっしょに暮らしたら、喧嘩にだってなるだろう」と言った。「互いに満足のいく面会ができるようになったのは、最近なんだ。僕が一方的に話すのをやめて、暁子の言うことを聞くようになってからなんだ」と文昭は、兄に自慢そうに言った。楽しい語らいのひと時だった。
 面会後、寒さ対策として、ストーブを入れるよう、申入れを行なった。
 

自己解放性あふれるデモ
 3月6日、私ひとりの面会だった。
2・5徳島刑務所包囲デモの感動の余韻が残っていて、感想をひとしきり伝えあった。
 37年間、無期で獄中にとらわれている人に向き合っておこなうデモは、普通のデモとはちがう、分断を打ち破る自己解放性あふれるデモだった。文昭がとらわれていることの大きさ、その分断を正面から見据え、デモという形で取り組んだ時、どんなに大きなエネルギーが発揮されるか示した。生まれてはじめての大きな感動だったという人もいた等等。デモに成功して、次のステージで何をやるかという話になった。
 「各救う会、みんなが何をやるかが問題だ」「絵画展でも街宣でも、今までとちがう一歩を踏み出す、デモの感動を実現する形で取り組むのが大切だ」と私が言った。文昭は、「再審棄却攻撃に対して、棄却させないで証拠開示を勝ち取っていくことがもっとも重要だ」と言った。
 そして、「2・5デモに関する手紙が入らなくなっている。二度とああいうことをさせたくないということなのだろう。手紙そのものが入らないのもあるし、墨塗りになった手紙もある。「前進」も2・5デモの報告が書いてあった最初の号は入ったけど、次の号は、時間がかかっている」と文昭。国賠に加えることも含めて、弁護団や事務局とも話し合うことを約束した。被災地に生き抜く人々を描いた絵は、今回私への手紙をじっくり優先して書いたので、完成してから宅急便で送ると文昭は言って、面会を終えた。