若葉の茂る5月7日徳島から東京・昭島市の「東日本成人矯正医療センター」へ移監になった文昭に初めての面会をした。星野誉夫さんといっしょの面会で、再審事務局の大形敏也さん、三多摩の大畠信子さんも同行し、差し入れしてくれた。ベッドのそばで会えることを期待したが、やはりアクリル板で分断された面会だった。文昭は前あわせの白っぽいパジャマを着て出てきた。やせてはいるが表情はいい。「食べ物の内容がよく、おいしく食べられる。ご飯は全部は無理だけどしっかり食べられる。徳島刑務所では、朝食はふりかけと味噌汁だけだった。ここではおかずがついて、今朝もちくわと野菜を卵であえたものが出たよ。昼食と夕食は肉か魚のどちらかで、徳島で食べられない魚やチキンの焼いたものも出る。たんぱく質がとれる。手術できる体にすることを目標に医者がメニューを考えているようだよ」
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文昭は、MRI、CTスキャン等の検査で肝細胞がんであることがわかった。14センチ×11センチと大きく、肝炎や脂肪肝だったわけでもないのに、これだけ大きいのは珍しいそうだ。今日、ICG検査があった。緑の色素を注射して、15分後に採血して肝臓の「解毒」分解機能を調べた。肝臓の6割のガンを摘出しても(大きく切るので7割)、残り3割が機能すれば手術してもOKだが、だめなら手術はせず抗がん剤治療になるとのこと。
徳島刑務所を許せない
「顔色がいい。疲れやすいけれど体力がついてきた。精神的にもかなりいい状態だ」と文昭。全館空調設備で25度に保たれている。6畳の個室でベッドがあり、鍵はついている。「窓の板が斜めについているので、花や空や朝焼けが一部は見える」と文昭は言った。
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徳島刑務所の朝ごはんの粗末さを初めて聞いた。文昭は私を心配させないために言わなかったのだ。肝細胞がんが大きく、手術できるかどうかというのに家族や仲間のことを気遣う、それが星野文昭だ。 絵を描くことを認められたようで、『アフガン、山の学校で学ぶ』という絵を宅下げしてくれた。「細部は集中度が体力的に今ひとつだけど、少女の描写はいい感じで描けたかな」と言っていた。
それにしても許せないのは徳島刑務所だ。昨年8月、文昭は激しい腹痛と血流が逆流する感覚に陥り倒れた。医師は胃ケイレンと診断しただけで、検査を強く求めたがしなかった。本年3月4日に初めてエコー検査を行った。しかし、その結果を文昭には告げなかった。
「検査結果がわかってから、面会に来るね」と、真新しい面会室を後にした。
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「アフガン、山の学校で学ぶ」 |
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