星野暁子さん面会日記
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2019年 2月4日~6日
  「星野」は反戦の闘い

 2月4日
 文昭はマスクをつけて現われた。インフルエンザでいくつかの工場が閉鎖になり、ちょうどこの日から再開したと言っていた。
 この日は、韓国テグの話をしようと思っていた。身につけていたピンクのマフラーを見せて、「これはソンジュで、チンジンスさんが寒いからと買ってくれたものだよ」と話した。既に、手紙ですべてを伝えてあり、文昭からは「テグに僕を連れ出してくれたような手紙だった」と熱烈な返信があった。
 イドクチェさんとテグのみなさんからいただいた「応援牌」を見せて、「平和を死守しようと努力されているその熱情を尊んで」と記してあるハングルの日本語訳を読み上げた。文昭はうれしそうに「応援牌」を見ていた。「民衆行動がどういう運動なのか、はじめははっきりわからなかったけど、マルクス主義に基礎を置いて、民主労総を左から牽引する組織だとわかってうれしかった。星野の闘いを反戦の闘い、平和を求める闘いと言ってくれたことも新鮮だったし、うれしかった。獄中44年、不屈の闘いということは言うけど、最近、星野が反戦の闘いであり、平和の闘いであることは、なかなか言わなかったからね」

左から、片山元久さん、高橋敦さん
須藤角一さんと(2月5日)
 5日
 文昭は「風呂にゆっくり浸って胃を暖めると調子がよくなる。医者に言って漢方の薬をもらおうと思っている」と言った。
 文昭は、更生保護委員の面接はまだないと言った。「連合赤軍の吉野さんは、面接もないまま仮釈放を棄却になったらしいね。他にもそんなケースがあるのか聞いてみようと思っている」と私は言った。「私たちは、『30年問題』があるということで、仮釈放に取り組むことになったけど、九州大学名誉教授の内田博文さんは意見書で、『30年問題』というのは、仮釈放の消極的運用だと言っているよね」と言うと、文昭は「とはいえ、30年たっても仮釈放がないというのは尋常ではないわけだから、法務省としても対応が迫られたということはあるだろう」と言った。
 「昨日体重を計ったら、50キロだった。ご飯が食べられるようになったら、胃の具合もよくなって、体重も元に戻って、暁子に心配をかけることもなくなると思うよ。夕飯は、固くて芯のあるご飯が出てくるから、こたえるんだ。僕の方からも、工場担当に軟らかいご飯にしてくれるよう、申し出たよ」と文昭。



 6日
 「絵は、今回面会には間に合わなかった。やせたせいで、寒さがことさらこたえるようになった。前は寒くても我慢して机に向かって描いていたけど、今年は寒い時は布団に足を入れているので、絵は描けなかった。宅急便で後から送るよ」と文昭は言った。
 後から送られてきた絵は、佐渡の、一面に菜の花が咲く鎮魂の絵だった。

春、希望を育む佐渡