2014年4月6日 全国労働組合交流センター東京地方協議会 |
全証拠開示をかちとり、無実の政治犯・星野文昭さんをとり戻す事を決議します。 1971年11月14日、星野文昭さんは、沖縄返還協定批准阻止闘争をデモ隊のリーダーとして闘いました。その闘争で、機動隊員を殴打して死亡させたとして、殺人罪をデッチ上げられ無期懲役を受け、徳島刑務所で39年目の春を迎えています。しかし、星野さんは機動隊死亡には一切関与していません。 11・14渋谷闘争は、労働者の闘いでした。その発端は、70年安保沖縄の労働者の反基地闘争です。当時アメリカの施政下に置かれた沖縄の労働者人民のベトナム戦争反対の後にも先にも無い、反軍労を先頭にした島ぐるみのゼネラルストライキに呼応したのが、11・14渋谷暴動闘争だったのです。後にベトナムの老人が、沖縄の集会で「1971年の10月…毎日飛んでいたB52が、2日だけ飛ばない日があった。それは、あなた達、労働者の闘いがあったからです。」と述懐した様に、資本主義の最終形態である戦争を止められるのは、労働者である事を示したのでした。憲法9条を持つ本土・日本に帰りたいという沖縄の思いを踏みにじり、核付き基地の再編強化のペテン的返還に対して起こった沖縄のゼネストに応えた、満都、渋谷での労働者階級の階級をかけた労働者の闘いだったのです。 星野文昭さんは労働者階級のリーダーです。不当な指名手配を2つも受けながら、星野さんは渋谷闘争に決起しました。渋谷に向かうデモ隊に対して、アジテーションをする星野さんの姿を見た警察権力は、どれ程に歯ぎしりをし、悶絶した事でしょう。加えて、星野さん以外のデモ隊は、幾重の機動隊の阻止線に阻まれ、散り散りにされながら渋谷で合流する中、星野さんの率いる150人のデモ隊は無傷で渋谷に登場し、喝采を浴びました。この事をもっても、星野さんは一身に国家権力の憎悪を受け、星野さんが無実であるのを百も承知の上で、殺人罪での無期懲役が下されたのです。その判決を下した裁判官の草場良八は最高裁の長官まで出世したとさ…。それにも加えてあまつさえ、論告求刑では、死刑とまで言わしめたのでした。 1975年8月6日に逮捕された星野さんは、度重なる獄中弾圧に屈する事なく、今は、第二次再審請求異議審を闘っています。2波に渡る徳島刑務所包囲闘争、2つの国賠、そして、全証拠開示運動が展開されています。 先日の袴田事件の再審開始決定も、やはり鍵は、証拠開示でした。東電OL殺人事件、布川事件の再審勝利も、証拠開示が決め手でした。もはや、無実の証拠は検察の倉庫に眠っているというのが現実です。 今、星野再審が新自由主義と闘う労働者の希望となっています。追い込まれた国家権力、安倍政権は脆弱ながら、より一層、凶暴・凶悪化を増すでしょう。しかし、階級的労働運動の力で、私達の労働者階級のリーダーである星野文昭さんを必ず、一日も早くとり戻しましょう。あと一歩の所まで来ているのです。労働者階級の団結の力で再審勝利しましょう。 以上決議します。 2014年4月6日 全国労働組合交流センター東京地方協議会 |