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 2013年6月14日 第8回裁判 
      原告金山克己、星野暁子の陳述書

  

第8回公判
 6月14日午後1時半から、面会・手紙国賠の第8回裁判が開かれました。
昼休み、裁判に先立って、6・30星野全国集会への参加を訴えるビラをまき、署名を集めました。狭山差別裁判の再審・無罪を求めて闘う石川一雄さんと並んでの訴えになりました。
 傍聴には18人が駆けつけ、谷口豊裁判長と向き合いました。前回、代わったばかりの谷口裁判長は、「双方の準備書面によって事実関係ははっきりしてきた」と、事実調べを行わないまま結審する意向を示しました。とんでもない。当時の所長であった松本忠良が、どのような基準と判断で面会を拒否し、手紙を墨塗りしたか、まったく明らかになっていません。星野暁子さんと7人の友人の面会許否、暁子さんの手紙墨塗りに対する追及はこれからです。特に、昨年2・5徳島刑務所包囲デモへの報復として行われた面会許否、手紙墨塗りの責任を徹底的に明らかにし、責任を取らせましょう。
 原告代理人の西村正治弁護士は、これらの事実を解明するために不可欠な4人の証人申請を行いました。当時の所長松本忠良、処遇首席西岡勇次郎、第一統括木下豊和の3人と星野文昭さんです。この採否は、次回以降に行うことになりました。
 裁判には、星野暁子陳述書と金山克巳陳述書が提出され、要旨が朗読されました。
前回の裁判で、被告・国の代理人は、「処遇法が想定している利益は受刑者のものだけであって、面会を求める者の利害は考慮する必要がない」として、「門前払い」を求める「準備書面(5)」を提出しました。絶対に許せない主張です。
 西村弁護士は、法律論、判例、運用など全面的に打ち破る「準備書面(6)」を提出しました。
次回は、7月26日午後3時半、東京地裁705号法廷です。傍聴をお願いします。


                         陳  述  書
                                                     2013・6・14
                                                     金 山 克 巳

 新たに代わった谷口豊裁判長に、私の意見を述べます。
 本件裁判の最大の争点は何でしょうか? それは怒りです。私たちは、心の底から怒っています。谷口裁判長に対して、この怒りと向き合うように求めます。
 被告国の代理人は、刑務所長の裁量の枠内かどうかという点だけに問題を制限しようとしています。しかし、そんなところに、本件裁判の本質はありません。
 2010年5月以降、徳島刑務所は旧監獄法の時代に逆戻りしました。
 その不当性を身をもって強制された8人が、怒りに燃えて裁判に踏み切ったのです。この怒りと向き合うことなしに、裁判を進めることはできないのです。

 2010年5月から、7人の友人が次々面会を不許可とされ、ついには配偶者である星野暁子さんの面会まで不許可にされました。その日は、星野文昭さんと暁子さんの24回目の結婚記念日でした。
 同じ時期、星野暁子さんの手紙5通が墨塗りされました。星野文昭さんが東京拘置所にいる時から26年、1回もなかったことです。
 今では、友人面会は、事実上禁止状態になっています。
 被告が提出した「乙第18号証」を見てください。2011年の面会者総数2062人は、旧監獄法時代の2004年の2344人より少なくなっています。こんなものに、徳島刑務所は『開かれた矯正へ』などというタイトルを付けて昨年秋の『矯正展』で配布しました。何が『開かれた』ですか。『閉じられた矯正』ではないですか? これは、受刑者、家族、友人たちの人権を踏みにじった数字なのです。

私個人に関して言えば、2010年8月に面会を不許可とされました。しかし、翌年8月には、面会を許可されました。何が変わったのか? 何も変わっていません。
 徳島刑務所は、前年の不許可が誤っていたことを、事実をもって認めたのです。まず゛この点を直視してください。
 ところが、その翌年には、再び面会不許可としました。2月5日の徳島刑務所包囲デモの首謀者であるとして、不許可にしたのです。労働者民衆の誰もが集会を行い、デモを行う権利を持っています。憲法もその権利を保障しています。それを真っ向から踏みにじるのが、2回目の面会不許可です。
 2回の面会不許可は、まったく性格が異なります。 

 私たちの怒りと具体的に向き合うには、事実調べが不可欠です。原告が求める4人の証人調べを行ってください。
 星野文昭さんと私たちの怒りに向き合った裁判を進めてください。

                                                           以上
                          陳 述 書
                
                                                     星 野 暁 子 

 獄中結婚してから27年、私たちは、心でも体でも愛しあってきました。月三回の面会と週一回の手紙のやりとりを、私たちは、とても大切にしてきました。
 週一回の文昭の手紙の発信日が決まっているうえ、時々変更になります。相手の手紙を受け取ってから、返事の手紙を書くように、お互い工夫していますが、なかなかうまくいきません。
 その中で、特に困るのは、私の手紙の墨塗りによって、文昭の手元に私の手紙が届くのが、大幅に遅れることです。今回は、10日遅れました。その手紙は、5月27日付の手紙で、主に、沖縄の報告を書いたものです。墨塗りされたのは、文昭の話では、9月8日に、徳島刑務所包囲闘争をやることを書いた部分です。私の手紙では、徳島行動としか書いていません。
 考えてみてください。デモは、国民に許された正当な権利です。そのデモを行なうことを知らせたことが、なぜ墨塗りされなくてはならないのでしょうか。心のこもった手紙を、墨塗りすることは、心を踏み潰すことです。許せません。

 一昨年、私は救う会の仲間とともに、アメリカに行きました。そして、死刑囚に面会しました。私たちに許されたのは、5時間の面会でした。おりの中ではありましたが、テーブルを囲んで、飲み物を飲み、サンドイッチを食べながら、自由に話し、ハグすることもできました。看守の立会いもありません。日本の刑務所と、なんというちがいでしょう。
 今、文昭と私に許されているのは、月3回、30分ずつの面会(看守の立会いがつき、アクリル板もあります。)と月5回の文昭からの手紙だけです。この制約の中で、私たちは、夫婦としてのきずなを育んできたのです。面会のあり方が、もっと抜本的に変えられなくてはならないと思います。アメリカで出来ているのですから、面会時間を増やしても、アクリル板をなくしても、看守の立会いをなくしても、やっていけるはずです。新法においては、友人面会について、道を開きましたが、法務省と徳島刑務所は、再びその道を閉ざしただけではなく、さらに、手紙の墨塗りまで行なっているのです。
 手紙の墨塗りは、憲法の表現の自由に違反します。思想・信条の自由にも違反します。徳島刑務所の改善を、強く求めます。