7月12日 佐賀県・鳥栖市
星野暁子さんを囲む会
7月12日、佐賀県鳥栖市の鳥栖キリスト教会で「星野暁子さんを囲む会」がもたれました。当日は、40人ほどの来場者があり、はじめに新しく制作されたDVDを見て、星野さんの過酷な闘いの足跡を確認しました。当日、会場前方には、星野さんの絶筆である「アフガン、山の学校で学ぶ」、赤ちゃんに乳房を含ませる暁子さんの絵、「命どぅ宝」の鉢巻きをした2人の子どもの絵、さらに星野さんの告別式の写真が飾られました。その4枚に囲まれて語られた暁子さんの言葉の一言一言は、参加者の胸に静かに、深く染み入るようでした。特に、徳島刑務所で星野さんが体調不良を訴えたにもかかわらず、ガンが肥大化するまで放っておかれたこと、さらに東日本成人矯正医療センターでのいい加減な手術と無責任極まる放置。その後の死は、「虐殺」と呼べる出来事だと思いました。この文昭さんの最期の様子を聞き、会場には「こんな理不尽な事がまかり通っていいのか」と震える声で応じる方もありました。 また、暁子さんは丁寧に文昭さんとの出会いについても語って下さいました。裁判で星野さんが語った「全ての人間が人間らしく生きられる」という言葉に触れ、文昭さんとの獄中結婚を決断されたときの思い。ご両親の言葉や、その後、暁子さんのお父様と文昭さんとの手紙のやり取りの話など、印象深く心に残っています。会場から、文昭さんが絶望的獄中で、どうしてそこまで人を信頼して歩めたのか、という質問が出ました。 暁子さんは、「文昭と出会った当時は、死刑求刑後の拘禁性ノイローゼの回復期でした。文昭が共に生きる女性を求めていると聞き、面会に行きました。その後、結婚に至ったのですが、自分との出会いと、その後育まれた愛の力が大きいのでは」と言っておられました。私はこのやり取りを聞きながら、誰にもまねすることのできない、そしてこれ以上に過酷な道はないであろう人生を生きながら、星野文昭という人が、暁子さんと出会って、その愛を育むなかで、さらに芳醇(ほうじゅん)な、他者を信頼する人生に導かれたのだと思いました。人が人をこれほどまでに深く愛し、信頼し合うことが出来るのだと、本当に素晴らしい出会いと愛の物語りに改めて感動しました。 今年初めに暁子さんが決意された「私が星野文昭となって、これからも闘い抜いていく」という言葉を受けて、私たちも、これからも連帯し、共に闘っていきたいという熱い思いにさせられました。本当にいい集会となりました。 |