TOPページへ! 

FumiAkiko Calendar 2013




暖かな光の中に


2.5暁子と一緒に皆が会いに来た

「希望」が舞い降りた日に

  
2.5徳島刑務所包囲デモ
 

「星野さんを返せ!」
「星野さんは無実だ!」
「受刑者を人間扱いしろ!」

「希望バス」に乗って
全国から集まった老若男女が
星野のぼりと赤旗をたなびかせ
徳島刑務所を 取り囲む
坂道を 練り歩いた

手を伸ばせば そこに
37年間 囚われている
星野文昭がいる

入り口の門にも
刑務所の裏にも
口を閉ざした 刑務官が
立ち並んだ


 




一言の言葉を伝えようと
声限りに叫言 600の顔! 顔!
泣きながら 泣きながら
その顔は 叫んでいた

そこにいるのは まぎれもなく
自分の分身であり
とり戻すのは 自分自身だ

「やっと 来れたんだね」
と 文昭は 両手を広げて
待ち受けていた

37年の分断と
心の鎖を 断ち切って
我とわが身で 一つに化した 感動が
誰もの心を つかんで 離さなかった

「星野を返せ!」 「暖房を入れろ!」
叫びながら
必ず とり戻せるという「希望」が
600の隊列の 確信になった



   3.11 母の祈り
 

見渡す限り
ガレキの山の中から
あなたの遺体は ようやく見つかって
急遽 こしらえた
安置所の中で
お母さんは 傷ついた あなたに
会うことが できました

悠ちゃん 寒かったでしょう
お母さんが 悪かった
あなたを 助けて あげられなかった
津波に流されて
お母さんは建物に ひっかかり
助かったけれど
気がついた時 手をつないでいた
あなたを 見失ったのです



12歳の あなたの
あまりに早い 人生の終わりを
お母さんは 受け入れることが できなくて
あなたの顔の 泥をぬぐいながら
毎日 ここに果て 泣いています

悠ちゃん
どうすれば もう一度
あなたに 会うことができよすか
あなたが 逝ったところに
お母さんも 行きたくなります
悠ちゃん
過ぎ去る時間の中で
悠ちゃんの分も
お母さんが 生きる気になるまで
どうか 向こうには
行かないでください
 

    被災地・再起する家族
   -朝日新聞「千人の声」石巻市開成、
     阿部誠也・智子さん家族-



桜咲く、米沢の春

   誕生日の面会室
 

「つつじが 面会室まで通ってくる道の
両側に 咲いていて きれいね」

「中の つつじは まだつばみだよ
中の方が 寒いのかな」

見慣れた 殺風景な 面会室に
笑顔で 入つてきた 文昭と
まるで ずうつと
いっしよにいたかのように
なにげない 会話は はじまる

「再審棄却、残念だったね」
「もう、ずうつと 昔のことのような
気がするよ」

きっと 辛かったはずなのに
さわやかな 笑顔のまま
あなたは 語る
 

「30分の暁子との面会を
何十倍にも 大きくして
会えない時も いっしよに生きてる」
と文昭は 言った

「不屈に 無期と闘って
人間解放を 呼びかける
星野は 希望だっていう人
結構 多いよ」と 言ったら

「暁子には 感謝しきれないぐらい
感謝している
無期の中で すべてを
生きている 僕の
感謝の気持ちを 伝えられたら」と

文昭の 誕生日の 面会室
苦しみを 乗り越えた あなたは
さわやかだった


   私は ピエロ
 

風になって
私は ピエロ
街角に 立つ

うさんくさく 私を見て
子どもを 遠ざける 母親にも
寄ってくる 子どもを
優しげに 見守る 母親にも
心を 種にして
チラシを 配る
私は ピエロ

放射能が 私の山里に
落ちてきた日
ホピの 予言どおり
私は フクシマに 立った

生命の 小さな
豊かな 営みを
引き裂かれた わが身に
涙しながら
“反転”の 思想を 生きる
ひっくり返された 私の世界を
ひっくり返す 主体として


-フクシマの椎名千恵子さんから
 お話を伺いました-

※ホピの予言
アメリカの原住民ホピ族が、
ウラン採掘を拒否し、
それによってもたされる文明の
危機を予言した。


 


    チエルノブイリ、今を生きる
 -チェルノブイリのすぐ北、ナロブリヤの保育園で-


沖縄・未来を唄う少女たち
2010.4.25沖縄県民大会で、
 ミュージカル[肝高の阿麻和利]から

   うりずん
 
     ※沖縄の大地のうるおいを意味する
       季節としては初夏を表する言葉

私が 子どもだった頃
沖縄は 私の心を突き刺さしたトゲのようだった
仲良しの 韓国の 友達からさえ
「沖縄人!」と言われて
石を 投げられ
私も 「朝鮮人!」と 言い返した

私が 子どもだった頃
沖縄は 生命の恵みのようだった
病弱な 私を 3日間
寝ないで 看病してくれた 母
足しげく 訪れてくれた 叔母たち
杉の皮葺きの家での 嵐の夜を
かさを さして
私を 寝かしてくれた 叔父
 


“沖縄“とは 何だろう
捜し求めた 沖縄は
 「太陽の国」だった
愛楽園で
結核の人が ハンセン病の人に
芋を 譲った 話を聞いて
私は 涙した

今 私は 胸をはって言える
「オスプレイに 反対しないことは
世界の 労働者に 銃を向けることになる」
差別され、傷ついた 沖縄は
 「他の国を 傷つけては ならない」と
世界に 向かって 叫んでいる

-座覇光子さんからお詰を伺いました-


   
愛する人へ
 

あなたが 好きです
あなたが 本当に 好きです
革命に しゃにむに生きる あなたは
いつも 輝いていた
あなたに 出会えて
よかった

あなたが 好きです
あなたが たよらなく 好きです
人間観も世界観も なにもかも
全部 変わりました
人生が こんなに おもしろいものだなんて
ニヒリズムも シニシズムも もう いらない
うれしいのです
仲問との団結に 生きられることが
人間不信ではなく マルキシズムで
武装する 楽しさ!


あなたが 好きです
あなたが ずうっと 好きです
今までも これからも 好きです
あなたの中に 革命を見て
誰もが 解放される 道すじを見て
いつも 考えるのです
あなたなら どうするだろうって

あなたが 好きです
あなたが とてもとても 好きです
人間への信頼を 手繰り寄せてくれた あなた
獄壁なんて ぶちこわして
みんなの 団結で
あなたを 取り戻したい
結ばれる その日を 夢見て

(内田晶理君、松室しをりさんへ)
 

生命を咲かせる花々


夏と秋が交叉する北の美瑛

 こんなに愛していても
 

面会に来る 暁子を
迎える 僕の
今日の プレゼントは
美映を 描いた絵と
心からの 笑顔だ

心配症の暁子は
昌つだろう
「文昭は
どうして そんなに 元気なの?」

更けていく夜に
うつらうつらする 夜明けに
暁子を 思う

こんなに 愛していても
手を握ることも できない


   原発をとめるまで
 

大きな地震の 揺れがあった後
原発事故が 起きていることを
私は 確信していました
子どもたちを すぐに
山形へ 避難させたのです

3・11 あの原発事故は
豊かな 大地の恵みを
一瞬のうちに 奪ってしまいました
まきでお風呂をたき
まきストーブで料理をした
生活は すべてが 奪われたのです
それなのに 変わらない 風景の
美しい 戦場 フクシマ
残る人と 去る人の心を
バラバラに 引き裂いた 放射能!



子どもたちに 私は言いました
「お母さんは この日のために
生きてきたような 気がする
あなたたちが どこへ行つでも
生きられるように
やってきたから 大丈夫
人との つながりを 大切にして
安心の 貯金をしてきたから
それを 切り崩すような生活をして
お母さんは 原発と 闘います」

亡くなった母にも 言いました
「お母さん 原発をとめるまで
お墓参りには 来ません」

れんげの赤
麦の青
なたねの黄色

もう とおの昔から
奪われている 農村の色彩
金もうけの システムは いらない
生命を育む 母性を生きて
原発を とめるのです

-フクシマの佐藤幸子さんさんから
        お話しを伺いました-
 

福島・磐梯山と五色沼の秋


陽光のなかの花々

   再稼動反対!
 

「再稼動反対!」を
叫ぶ 20万の 声が
途絶えることなく 間こえる
7月29日、夜
国会議事堂前

やがて デモ隊は
歩道から 規制をこえて
車道 いっぱい
膨れ上がった

ランプを持ち
旗を持ち
手作りのプラカードを掲げて
訴える 人々の
表情は 明るい
 
「今 声を あげないと
何も 変わらない」
「フクシマを切り捨てて
何が 再稼動か」

小さな 人間が
それでも 力を合わせて 繋がれれば
世の中を 変えることができると
20万の 熱い 人波は
ひとすじの 希望を 紡ぎだした
「再稼動 反対!」
「再稼動 反対!」


   
愛のカタチ
 

「一日一日を大切にね」
面会室から 去っていった
あなたの 言葉が
暖かく 私を包んだ

土曜日に 届く あなたの手紙には
夏場の寝具に タオルケットを
使えるようになって
暁子たちの 申し入れのおかげだ とあった
放射能で 品不足になった うなぎが
半分の 大きさだったけど おいしかった とあった
調子が 悪い時に
私か送った マッサージ方法で
目に見えて 治った とあった

私か 17万の一人として 7・16代々木デモに
参加した と言えば
暁子が そうしてくれたことで
自分も身をおけるのが 大きいよ
と文昭は言う

週一回 届けあう 手紙は
会えない 日々に 生命を通わせ
すべてを 与え合う 二人の 愛の営みだ

届けられた 愛のひとつ ひとつを
何十倍にも 大きくして
飾らない 愛を 送りあう
分かり合える 喜び
そして やがて 実を結ぶ 喜び

無期を 一つに 生きる 二人の
生きる 喜びに なっていった

 

一緒に暁子の誕生日の
豊かな時間を過ごすために




希望-被災地の皆さんと共に未来を!

   
母の背中に
 

「田舎だから 捨てられている!」
お母さん!
思わぬ あなたの 強い言葉の中に
奪われた者の 切ない悲しみを
私は 見て
一瞬 黙ってしまいました

小さなアパートの コンクリートの隙間に
今年も ゆりの花は 咲いて
ほおずきも 実って
その 生命力は
どんなに あなたを 喜ばせたでしょう



あの津波が なかったら
庭に ほおずきが 実って
自慢の 花畑も
どんなに きれいだったかを
日ごと 語る あなたに
生命あることの 大きさを
諭すのを
私は もう やめました

生き生きと
孫たちの お弁当を作る あなたの
小さな 背中に
お母さん! 生きていてくれて ありがとう
明日 生命あることが
当たり前では ないことを
教えてくれた お母さん!
ありがとう

-仙台の佐藤康子さんさんからお話を伺いました-