市東さんが祖父の代から100年にわたって耕し続け、豊かな実りをもたらしてきた農地と生活の場を暴力的に奪い去り、国家権力による60年近くに及ぶ空港建設の横暴と闘い抜く不屈の意思を示してきたやぐら・看板の破壊を強行したNAAと千葉県警・機動隊、この犯罪行為を「合法」とした千葉地裁を私たちは未来永劫許さない。 夜8時過ぎ、市東さん宅向かいの警察「前線指揮所」から数百人の機動隊がなだれ込んだ。機動隊は数の勢いで反対同盟のスクラムを破り、市東さんをも押し倒して団結街道に突入した。たちまち肉弾戦に発展し、怒号とシュプレヒコールが飛び交う。機動隊の盾と生身の人間が激しく衝突する音が絶え間なく響いた。 反対同盟は実力闘争の先頭に立って機動隊を押し返し、各所でマイクを握って仲間を激励した。萩原富夫さんは、ジャバラを乗り越えて機動隊の阻止戦を突破し、執行阻止を試みた。全学連が満身の怒りを込めて立ち上がった。看板とやぐらの前でスクラムを組み、籠城に決起した。機動隊との徹底抗戦の中で3人の若者が不当逮捕された。 三里塚芝山連合空港反対同盟は直ちに緊急声明を発し、闘いを呼び掛けた。 不当にも逮捕された3人の学生は3月8日、権力の卑劣な弾圧に対して完全黙秘・非転向を貫き、奪還された。 星野文昭さんの墓碑を破壊し踏み荒らした不法を許さない
このような不法な農地強奪が行われる中で、その一画にあった星野文昭さんの眠る墓が踏み荒らされ、墓碑が奪い去られたのである。市東さんが許可し、日常的に管理してくれている墓である。全国再審連絡会議は抗議文をNAA本社社長田村明比古に送付した。 一週間後3月6日、本社に確認すると「墓碑は裁判所に保管されている」という回答だった。地下に埋葬されていた星野さんの遺骨はどうしたかと問い詰めると、全く認識していない。NAAは慌てふためいて掘削したが見つからない。こちらが「掘削する」というとさらに場所を聞いてくる。翌3月9日に「見つかったので市東さん宅に預けた」と連絡してきた。 NAAへの抗議の申し入れは以下の5項目である。 1.「星野文昭ここに眠る」の墓標を直ちに返却すること 2.星野文昭の遺骨を直ちに返却すること 3.同じ場所に墓標を再建し礼拝可能な状態にすること 4.責任者を明らかにすること 5.責任者は誠意ある謝罪をすること 墓碑は戻り、遺骨は戻ってきたが、生涯をかけて三里塚と沖縄の闘いに命を捧げた星野さんの眠る墓地を踏み荒らしたNAAの犯罪行為を断じて許すことはできない。 われわれ全国再審連絡会議は、市東孝雄さん、反対同盟とともにNAAを弾劾し、廃港まで星野さんと共に闘いぬくことを誓う。 星野新聞第137号 掲載 |