星野さんをとり戻そう! 全国再審連絡会議事務局 米山実則
決戦下にある天神峰の闘争本部には、常時、支援の人たちが詰めかけている。全学連の学生は、昼間は援農をして夜は見張りに入るとのことだった。市東さん宅入口の角には、昼間は4~5人の見張りが座っており目の前には空港から警備に出る機動隊のゲートがあり、決戦の緊張が高まっている。 全国の闘う仲間の団結と実力闘争こそが、岸田政権の暴力的な核軍拡と中国侵略戦争に向けた攻撃を阻むことができます。それは日々、市東さんの闘いや沖縄・辺野古をはじめとした南西諸島での市民の決起、そして星野文昭さんの闘いを見れば明らかです。「人間が人間らしく生きられる社会」を目指し、汚染水海洋放出阻止の実力闘争を闘いぬきましょう。 3・11福島県青少年会館(福島市)午後1時に、全国・全世界の闘う仲間は結集し共に闘いましょう。 1967年9月1日全学連の秋山勝行委員長が戸村一作委員長を訪ねたのが、成田空港をめぐる闘いが三里塚闘争に発展した始まりだ。11月4日には反戦青年委員会、翌年2月3日に全学連現地闘争本部が開設されている。 70年1月の強制測量を7750人が結集して阻止し、9月の強制測量阻止「泥と炎の3日間戦争」では7校の小学生450人が立ち上がり、阻止。71年2~3月の第1次強制代執行阻止闘争は、地下壕戦も含む20日間の北総の大地を揺るがす一大戦争だった。労農連帯の輝かしい闘いが、動労千葉によって打ち抜 かれた77~78年のジェット燃料輸送阻止100日間闘争だった。それは、労働運動の新たな地平を切り開いた。 三里塚闘争は、57年間にわたる三里塚農民と動労千葉を先頭とする労働者民衆の輝かしい闘いの歴史だ。 午後8時過ぎからは夜の態勢に入り、私は深夜1時から3時のパトロールに同行した。市東さん宅と筋交いにある路地に車を止めて監視するのだが、1時間に1回くらい周辺の巡回に出る。機動隊も同じテンポで巡回しているようだ。 いつもデモで終点となる畑まで行くと、夜の空港は煌々(こうこう)たる明かりで浮き上がっているが、12時過ぎには飛行もないので静寂につつまれ、半世紀前の開港前の静けさだ。空港内の見張所の屋上には機動隊の見張りが立っている。2月に入ってからは常時監視態勢に着くようになった。
翌2月5日は、三里塚芝山連合空港反対同盟が呼びかける天神峰現地闘争だ。強制執行阻止の決意も固く180人が結集した。集会のあと「市東さんの農地を守りぬくぞ」と意気高くデモ。 星野文昭さんは、1971年仮処分阻止や第2次代執行阻止を闘った。同年の11・14で無期懲役の判決を下され、44年の投獄を不屈に闘いぬいた。獄死させられた星野さんは、今、三里塚の市東さんの農地に眠り、農地強奪と闘いぬいている。 全国の星野闘争を闘う仲間は、星野さんの墓碑を破壊し市東さんの農地を奪おうとする国家権力を許さず、星野碑の下に結集して闘おう。 星野新聞第136号 掲載
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