
2022年10・25大坂無罪・奪還 裁判所包囲デモ
大坂正明さんの第8 ~10回公判が12月20日、21日、23日に開かれました(東京地裁刑事第4部高橋康明裁判長)。10月に始まった公判は年内10回を終え、検察側証人である主要なデモ参加者の尋問が終了しました。
10回の公判で明らかになったことは、検事は何一つ大坂さんの有罪を立証できていないということです。検察側立証は破綻した! 2023年の裁判闘争も全力で闘いぬきましょう。
ビデオリンク証人を徹底追及 第8、9回公判は、当時のデモ参加者が検事側の「秘匿証人」として登場しました。ビデオリンク設備のある法廷で開かれた裁判は、証人が別室からビデオで参加し、傍聴人にも、大坂さんにさえ姿を見せない異様な公判でした。証人が名前も姿も隠すなど、被告人の防御権を侵害する戦時司法そのものです。でっち上げへの加担を許さない強い姿勢で弁護団が追及しました。
登場した証人である当時東京学芸大学3年生だったCは、「11・14渋谷暴動闘争の翌日、総括集会で大坂があいさつした」、群馬のB大学1年生だったAは、「11・14当日の2日前に工学院大学で大坂を見た」と1972年の取り調べで供述しています。
しかし、2人とも千葉工業大学の学生だった大坂さんと面識はありません。そこで検事は、2人が大坂さんをいつ、どのように知ったのかについて「以前の集会で何度か大坂さんが発言したことがあるので知っている」という51年目にして初めての「エピソード」を証言させたのです。そしてそのために検察官と3回~5回にも及ぶ打ち合わせをしていたことを白状しました。あきれてものが言えません。
供述調書はでっち上げ
検事は大坂さんと面識のないデモ参加者の供述をもとに「11月12日に工学院大学で大坂を見た」「工学院で見た男が機動隊員を殴打していた」「11月15日の総括集会で大坂がデモ隊を代表して演説した」として大坂さんを起訴しました。しかし大坂さんは工学院大学に行っていません。大坂さんを工学院大学で見たという供述調書は、全てがデタラメです。
でっち上げ調書の採用に持っていきたい検事は、署名も指印も存在しないAの調書に「署名の筆圧痕がある」から正式な証拠となりうると主張しました。ところが、同じ証人に別の調書を確認させると、「この署名は自分の筆跡ではない」と言うのです。そんなムチャクチャな調書を検事は証拠申請していたのか! ほんとうに前代未聞の裁判です。
「供述調書は検事の作文」 証人の積年の怒りが爆発 12月23日に行われたIT(高崎経済大学学生)の証人尋問は、検察立証の破綻をさらに決定的なものにしました。星野文昭さんの裁判から一貫して「見てもいないことを認めさせられた」とでっち上げ調書を告発してきたITの積年の怒りが爆発! 「現場で大坂さんなど見ていない」「大坂がいただろう、お前は隠している、隠しているならお前が(警察官殴打を)やったんだと責められ続け、私は陥落した」「供述調書はすべてでたらめ。検事の作文に判を押しただけ」と過酷なでっち上げの実態を暴露し、「大坂を見た」という供述調書の採用を目指そうとする検察官を激しく批判しました。
検事はIT証人の怒りに気おされながらも「過去の裁判で『星野の隣に大坂がいた』と言ったではないか」と詰め寄りました。これに対しIT証人は「私の中に二つの映像がある。大坂さんがいないもともとの記憶と、大坂がいたと責められ続けて浮かんできた映像だ」と断言。デタラメな記憶が植え付けられていく生々しい過程が、証人の怒りとともに明らかにされました。
供述調書の内容を否定する決定的な証言が続き、検察立証は破綻しました。大坂さんは無実です。追い詰められた国家権力は、接見禁止の期限を不当にも延長し、本年3月7日までとしました。まだ接見禁止が続くのか!
昨年末は安保3文書閣議決定など、戦争情勢が激しく進行するなかで裁判が闘われました。沖縄闘争を闘った大坂さんを取り戻す闘いは、大軍拡・戦争国会と対決し、これを粉砕することと一体です。大坂さんとともに2023年、中国侵略戦争阻止の反戦闘争を爆発させ、岸田政権を打倒しよう。大坂さんを絶対に取り戻そう。
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星野新聞第135号 掲載
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