TOPページへ !
星 野 誉 夫さん 追 悼
誉夫さん、ありがとうございました 星野暁子

 
 10月13日午前0時33分、文昭の従兄星野誉夫さんが特発性肺繊維症(間質性肺炎の一種)のため、家族に見守られながら亡くなりました。享年85。
 誉夫さんは武蔵大学で長く教授として教鞭をとってきました。専門はマルクス経済学・近世の経済史でした。定年退職した時の記念講演で、誉夫さんは「終生鉄道経済史を続けて研究できたことを幸せに思います」と話されたと聞いています。武蔵大学では後輩の永田浩三さんとも親交がありました。学生との議論も真剣かつ丁寧におこない、学生から慕われていたようです。教授仲間からも信頼が厚かったと聞いています。
 誉夫さんが星野文昭の救援に本腰を入れるようになったのは、定年退職して名誉教授になってからですが、私が病気になり入院したりした2005年以降は本格的にかかわるようになりました。持てる限りの力を文昭の救援運動に注いでくれました。誉夫さんがやってくださったこととして大きかったのは、「星野さんを取り戻そう!東京連絡会」の会報に家族として、再審のこと、仮釈放のこと、国賠訴訟のことを毎月書き続けて下さったことです。そして、仮釈放を求める運動の高揚は誉夫さんの奮闘なしにはなかったと思います。「文昭君と暁子さんが普通の平凡な生活ができるようにしていただきたい」と、四国地方更生保護委員会に対して一歩も引かずに訴えてくれました。
 間質性肺炎だということがわかったのは、4、5年前でした。2020年6月特発性肺線維症であることがわかってからは「余命は1~3年」と言っていました。実際に生きられたのはあまりに短かったです。でも家族の手厚い看護の中で、自宅で過ごせたことは幸せだったと思います。 誉夫さんには物心両面にわたって、私の病気の時期も含め大きく支えていただきました。誉夫さん! ありがとうございました。

星野新聞第133号 掲載