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北海道救う会会報『北斗星』№68から転載
果てしなさ実感 星野治男


星野文昭さんに面会した治男さん(左)(2018年1月15日 徳島)

 今年の絵画展は2年越しのコロナ下で行われました。その後、北海道全体を熱波が襲い、いわば二重の災難でした。その中で皆さんのご無事を願うというかつてない感情も芽生えました。そんな状況で絵画展に来られる方が減ると心配しつつも、やることに意義ありと捉え、実行しました。
 現在も引き続き全国で絵画展が行われています。それは亡くなった弟文昭の遺志の継承であり、文昭が今もそこにいると感じ取ることにあると考えます。文昭は消し去られていません。決して消し去られない文昭がそこにいるのです。
 今、国を相手に国家賠償請求裁判が行われています。原告は妻暁子、兄治男、弟修三の3人。法廷に立つのは弁護団同席で妻の星野暁子一人です。実際の被告は徳島刑務所長と東日本成人矯正医療センター長だと考えられます。前者は文昭に対する通常の健康診断を怠り、結果、肝臓がんを放置した罪。後者は不完全な設備と不適切な人材で手術を強行し、文昭を死に追いやった罪です。
 再び長い旅路へと踏み出しました。文昭の生存中も果てしなさを感じていましたが、彼の亡くなった今もそう感じざるを得ないのは、相手方のどうしようもない当事者意識のなさです。まるで他人事のように自らの責務を果たす気がない、6月に出た「準備書面(6)」の感想です。
 そこには原告3人に対して19人もの被告指定代理人が羅列されています。そのこと自体が事実を「けむに巻く」ということを表しています。その書面は弁護団の主張に対する被告の反論形式ですが、その結論はたった1行、「原告らの請求には理由がないから速やかに棄却されるべき」と全面否定です。弁護団の丁重な主張に対して被告の反論は全てが公平さを欠き、まともに議論を尽くしたものとは思えないものです。19人で議論を尽くしているのではなく、つまるところ結論が先に来ています。
 この乱暴にして投げやりな所作を何十年と見続ければ彼らの正体がおのずと浮かび上がります。社会に対する公平さへの認識欠如から生じる不安定な判断。そして自らの職務に対する懐疑心ともいえる忠誠心。お上に対する下僕に徹して、職を死守し、つつがなく生活するだけの職。職そのものに何の意味があるわけではありません。そういう者が司法をつかさどるのですから、果てしないと私は考えます。

星野新聞第120号 掲載