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迎横爆取でっち上げ弾圧
十亀弘史さん元気に出獄



 1月13日朝8時、迎賓館・横田爆取でっち上げ弾圧で4年7カ月の獄中闘争を不屈に闘った十亀弘史さんが、水戸刑務所から元気に出獄した。
 当日は、通勤ラッシュの時間帯で道路は大渋滞だったが、なんとか到着できた。一足早く正月3日に前橋刑務所から出獄した板垣
宏さんも駆け付けた。
 水戸刑務所正門前には物々しい刑務官の警備体制が敷かれていた。刑務所当局は、車と出迎えの人数3人は門の中まで入れるとのこと。早速3人を人選して刑務所の中へ。
 ほどなく、出獄した十亀さんと出迎えたみんなで水戸刑務所正門前で記念撮影。しばし、感激の再会を味わった。
 所を変えて、十亀さんの知人宅で歓談を行った。水戸刑務所の地元で、4年7か月の獄中生活を支え、連れ合いの十亀トシ子さんの送迎を、面会の度に支えてくれた方である。
 十亀さんは、「完全黙秘・非転向で頑張りました。勝ったとはまだ言えないが、決して負けなかった。労働者階級の力を示せた。闘いはいよいよこれからです」と決意を語った。

星野新聞第112号 掲載

板垣宏さん誇らかに出獄
爆取弾圧打ち破る勝利



 1月3日、迎賓館・横田爆取でっち上げ弾圧で、前橋刑務所に服役していた板垣宏さんが、4年7カ月の獄中闘争に勝利して出獄した。
 この日、前橋刑務所の門前には、関東各地から駆けつけた支援者約40人が出迎えに集まった。待つこと1時間、午前8時30分、板垣さんが姿を見せると、一斉に拍手と歓声が沸き起こった。板垣さんは大輪の花束二つを受け取り、満面に笑みをたたえてガッツポーズで応えた。
 この後、群馬合同労組の事務所(高崎市)に移動し、歓迎会が行われた。秋月丈志革共同書記長があいさつに立ち、1986年の逮捕以来、35年に及ぶ爆取弾圧との闘いに勝利したことの大きさを訴えた。続いて同じ弾圧で逮捕された須賀武敏さんと十亀弘史さんの家族と福嶋昌男さん、星野暁子さんがそれぞれ、板垣さんへのねぎらいの言葉と、今後もともに闘う決意を述べた。
 最後に板垣さんが「勝利者として出獄し、前線に復帰した」と熱い決意を語った。
 国賠の闘いは、第3回口頭弁論を昨年の12月に終えて、いよいよ本格的な攻防に入っている。争点は二つ。徳島刑務所の検査・治療の遅れと文昭にも四国地方更生保護委員会にも巨大な腫瘍(しゅよう)が見つかったことを告知しなかったこと。そして東日本成人
矯正医療センターの医療過誤の問題だ。文昭の生命がかかっている国賠訴訟をあいまいにはできない。新自由主義のもとでの医療問題、すべての受刑者の生命がかかっているのだ。
 迎賓館・横田爆取事件ででっちあげ有罪とされた板垣宏さんが出獄、満面の笑みで勝利宣言した。これから、共に連帯して闘っていきたい。

 板垣さん出獄あいさつ(抜粋)
          勝利者として戦線復帰した

 私は獄中に入る時に、勝利者として入って、勝利者として出てくると宣言しました。その約束通り、勝利者として出獄し、前線に復帰しました。それを皆さんとともに確認したい。
 獄中で一番衝撃を受けたのはやはり、星野文昭さんが亡くなったことです。かけがえのない仲間を獄中で失ったことに対する衝撃は、獄中で受けただけに、私にとっては大きな出来事でした。この悔しさを晴らすには、革命を成し遂げるしかないということです。
 我々の裁判で一審無罪判決を勝ちとった時も、反革命が襲いかかった。星野さんについても、もう一歩で解放せざるをえないところまで相手を追い詰めたその時に、反革命が襲いかかった。これをうち破る闘いは、敵権力を倒すまで続きます。この状況を我々革共同だけが乗り越えて、闘い続けて、勝利し続けてきたのです。
 10日後には、十亀さん出獄の迎えに行きたい。それから、須賀さんはまだ5年も残っている。70歳過ぎての獄中生活は本当に大変です。これを支えていきたいと思います。
 まずは勝利の第一歩を確認して、お礼に代えさせて頂きます。



星野新聞第111号 掲載