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右翼の妨害をはねのけて
「復帰」48年沖縄集会・デモ


 「復帰」48年・沖縄戦75年5・16沖縄集会とデモが「改憲・戦争阻止!大行進 沖縄」の主催で開催されました。
 国際通りデモは労組や団体の旗・ノボリを林立させ、星野暁子さんは文昭さんの遺影を掲げて、右翼の妨害などものともせず誇り高く行進しました。バスの中でうなずく人や、飛び入り参加の女性もいました。星野ノボリを見た女性は「星野さんは亡くなったんですね」と涙ながらに応援してくれ、緊急事態宣言下の沖縄闘争として、やってよかったと実感し、感動しました。
 沖縄青年会館での集会は感染予防対策を十分に取って行いました。沖縄と本土代表に加え、新聞の「催し物」欄やチラシで知って参加した人など計50人が参加し、デモの高揚感を引き継いで開催されました。
 司会がこの日、横田や横須賀でも沖縄連帯闘争が行われていると紹介し、国鉄闘争全国運動呼びかけ人の宮城盛光さんが主催者あいさつに立ちました。星野暁子さんの連帯あいさつでは、遺影やノボリを持った「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」の仲間が登壇しました。
 暁子さんは辺野古や改憲阻止など沖縄の闘いが日帝打倒・安保粉砕の闘いの軸になっていることや国賠の意気込みを語り、「『沖縄闘争を闘うことで人間になれた』、そう言う星野文昭に私はなろうと思う。みんなで星野文昭になりましょう」と訴えました。
 元盲学校教諭の山田親幸さんの「障害者と沖縄戦、日の丸・君が代、そして辺野古」と題するビデオメッセージが上映されました。学校に通うと「コメ食い虫」とののしられた沖縄戦時の様子、弱視だったが米軍の軍艦で水平線が真っ黒になったのは目に焼き付いていること、戦後の収容所、そして盲学校教諭として多くの処分者を出しながら生徒と共に「日の丸・君が代」強制と闘ったこと、現在も辺野古に通う思いなどが語られました。
 中部合同労組委員長の宮城栄信さんのカンパ要請の後、「チーム緑ヶ丘1207」の皆さんの「何でお空から落ちてくるの? 子どもの空を守りたい」とのビデオメッセージが上映されました。戦後沖縄での米軍機墜落事故、緑ヶ丘保育園上空を次々通過する米軍機、政府要請行動での追及の映像が流れ、保育士さんたちが参加者に語りかけるシーンでは「私たちは全国の子どもたちを守りたいと思う。みなで団結し、政府を動かしましょう」との呼びかけがされました。
 最後に沖縄大学学生自治会の赤嶺千晃委員長から「辺野古新基地建設を阻止し米軍基地全面撤去へ!
 安倍政権を打倒し改憲を阻止しよう! 沖縄全島ゼネストへ立ち上がろう」という『復帰』48年5・15アピールが提起され、全体で確認しました。(沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会 和田邦子)

沖縄絵画展へのご支援ありがとうございました

 沖縄で5月5~10日に開催予定の「星野文昭さん追悼絵画展」は、会場の那覇市テンブス館が開催予定直前に休館と決まり、残念ながら中止となりました。これまで絵画展に参加された方、呼びかけ人、会員にチラシ、国賠要望書、カンパ要請文などを発送したところ、多くの方からカンパ、要望書が寄せられました。
 「マスクや除菌用品がどこも売り切れ。可能なら送って欲しい」と全国の仲間に訴えたところ、各地から「自分の所は開催できなかった。その分も頑張って」「星野カラーの黄色のマスクを職場の仲間が作った」などのコメントと共にマスク、除菌用品、缶バッジ、カンパが次々と届きました。思いがこもった品々とカンパに星野闘争の全国の強固なつながりを感じ、深く感謝しています。
 絵画展実行委員会は、4月の記者会見で「会場が閉館にならない限り感染予防をして開催」との立場を語り、『琉球新報』・『沖縄タイムス』に写真入りで掲載されました。当初「自粛要請」だったので、時間短縮で開催を予定しました。「休館延長」と決まったのは2日前でした。
 本土の仲間に「どのような感染対策を取ったか」を聞き、後半だけでも開催できたらと準備万端整え、わが家の玄関は絵画展用品が山積みでした。次の機会に活用させてもらいます。
 県内外の多くの皆様のカンパ・物品のご支援に重ねてお礼申し上げます。(星野絵画展を成功させる沖縄の会 和田邦子)

星野新聞第100号 掲載