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-基調報告-           
星野国賠に勝利する
全国運動の発展をかちとろう


はじめに 星野さんはなぜ殺されたか


 星野文昭さんは1971年11月14日、沖縄返還協定の批准を阻止するための渋谷闘争を闘いました。大坂正明さんや奥深山幸男さんと共に、1万2000人の機動隊が制圧する戒厳令にも等しい状況を突き破って深夜まで闘いました。この闘いは、沖縄と本土の分断を打ち破る歴史的な闘いであり、70年安保・沖縄闘争の頂点をなすものでした。なによりもこの闘いが今日、そしてこれからの私たちの闘いを規定しています。
 政府・国家権力は星野さんに憎しみを集中し、機動隊員1名が死亡した件で「殺人罪」をでっち上げて無期懲役としました。星野さんはこれに屈することなく、獄中結婚した暁子さんと共に44年間の闘いを貫きました。1996年、再審弁護団とともに再審請求の闘いが始まり、全国再審連絡会議が発足しこれを起点として反撃の狼煙が立ちあがりました。
 星野さんの獄中闘争を支えながら22年にも及んだ再審の闘いは第2次再審請求を経てデモ参加学生に強要したうその供述調書のみを証拠とする確定判決の虚偽を暴き、星野さんを有罪とする証拠構造を根底から崩壊させました。
 これらの力を背景に2017年から星野さんをただちに出せという更生保護委員会闘争が始まりました。40年を超える超長期の受刑と高齢を迎えた星野さんの即時解放はこの時、救援運動の最大の課題になりました。これまでの大衆的な力の蓄積を土台としながら新しい陣形を生み出した運動は、すべてを集約し身柄を取り戻す文字通りの「星野奪還闘争」として結実し闘われたのです。これまでを大きく超える闘いは四国地方更生保護委員会を決定的に追い詰めました。これに対して徳島刑務所と法務省は星野さんを出さないためにあらゆる策謀を続け、その結果、星野さんを獄死させたのです。
 私たちはこれを絶対に許しません。

(1)星野闘争の足跡
  ①沖縄闘争

 1971年11月14日の「渋谷闘争」は沖縄返還協定批准国会での強行採決を前にした実力闘争として闘われました。敗戦の代償として沖縄を切り捨て米軍統治下に売り渡した日本政府は「返還」の美名のもとに米軍の永久基地化を策動しました。ベトナム戦争の出撃基地として沖縄は数知れない基地被害と加害側に立たされその怒りが爆発していたのです。沖縄があたかも「平和憲法」のもとに復帰するかのようなペテンを弄し日米安保軍事同盟に憲法を従属させたのが内実でした。
 これへの怒りを逆手にとる「返還」に本土側の闘いが求められていました。コザ暴動を含む沖縄の島ぐるみのゼネスト、実力闘争に応える連帯の闘いが渋谷闘争でした。そして日米安保条約を根底から揺るがしたこの闘いへの報復と弾圧が星野さんを標的にしてかけられたのです。星野さんの不屈の獄中44年の「渋谷闘争」はまさに今日の沖縄を予見しこれを絶対阻止する闘いだったのです。
 星野さんは闘いの正義、正当性への確信を持ち無実を訴え続けました。星野さんは、今日の辺野古新基地反対運動に連帯し、沖縄に思いを馳せ激励、鼓舞し続けました。渋谷闘争は本土における戦後最大の「沖縄闘争」として歴史に刻まれ、その継承発展の重要な一角として今日の星野闘争を規定しています。これが星野闘争の核心中の核心です。

  ②再審闘争と徳島刑務所闘争
 無期確定を受けて1987年10月30日に星野さんは徳島刑務所に下獄しました。無期懲役という果てしの無い受刑生活が始まりました。徳島と暁子さんが住む杉並に救援会が発足し暁子さんの面会を支える運動と再審を目指す闘いが始まりました。
 旧弁護団が解散し、再審の道は新弁護団を創り出す闘いとして困難を伴いました。しかし旧弁護団の渾身の闘いにもかかわらず、無実を勝ち取ることはできませんでしたが再審闘争の土台として大きな蓄積を残しこの分析、学習から再審請求を担う鈴木達夫新弁護団長体制が成立しました。
 1996年4月、ついに第1次再審請求が提訴され確定判決の立証の不備と国家の立証責任を追及し、とりわけ時間経過の矛盾が突きつけられました。さらに「共犯者」とされる供述の矛盾を突きつけていきました。この闘いが全国に広がり沖縄はじめ星野さんの故郷の北海道など今日まで35の救援会が組織されてきました。今、あらたな会の発足の準備の声も聞こえています。
 第1次再審請求は2008年最高裁特別抗告審の棄却決定まで12年の闘いとなりましたが、最高裁決定では決定的な事実認定を勝ち取りました。星野さんを有罪とした確定判決の柱となっている事件当日の服装の色が違っていたことを最高裁自ら認めたことです。服装の色で星野さんを特定していたはずです。しかし「後ろ姿で分かった」とか「声で分かった」として、確定判決は揺るがないという理屈ならざる詭弁で恥をさらしたのです。
 この事実認定は2008年の第2次再審請求のなかにも鮮明に生かされていきました。第2次再審請求は狭山闘争、袴田再審などとの連帯を深めながら全証拠開示運動として全国の救援会の動力となりました。これが星野絵画展を戦場としながら広範な支援運動と組織拡大を獲得していきました。
 2017年、指名手配46年を経た大坂正明さんの不当な逮捕・起訴の情勢が生まれました。証拠の散逸、証人の記憶消失などとても裁判に耐えられる実態はなく、そもそも無実であり公訴時効が当然です。星野さんの裁判に使われた証拠が唯一の公判での立証となればそもそも崩壊しているのです。さらに星野裁判と確定判決には大坂さんはほとんど登場していないのです。どうやって有罪立証するのか、むしろ膨大な証拠開示のなかから星野さんの無実を明らかにする裁判としなければなりません。まさに星野第3次再審の核心として大坂さんとその健康を支え星野闘争として闘いが始まります。
  徳島の闘い
 獄中44年、星野さんは33年間徳島刑務所で生き抜きました。徳島の会はこれを全面的に支えました。毎月の暁子さんの面会体制を担い、懲罰への反撃ではいち早く抗議申し入れを行いました。猛暑、酷寒対策など処遇をめぐる直接の闘いでは先頭にたち全国に発信し闘いをけん引しました。そして全国結集による刑務所包囲闘争を全面的に支えました。この闘いは星野闘争においてその存在と本気の熱意を全国に知らしめ刑務所当局、法務省を震撼させる金字塔とも言える歴史的な闘いとなりました。さらにこうした闘いをとおして徳島の青年労働者の組織化と階級的労働運動を星野闘争のなかから生み出したのです。四国全体の星野闘争の最大の拠点としてその功績は計り知れません。

  ③更生保護委員会闘争
 犯罪の厳罰化が進み有期最高刑が30年となり、殺人の公訴時効も廃止されるなかで無期懲役の仮釈放がいわゆる30年問題として浮上しました。仮釈放の審理が10年経過後に可能となることに対して、有期の最高刑が30年となったことで受刑期間が法的にも矛盾する問題が起こりました。ここで仮釈放の申し出の権限を持つ刑務所長に加えて、30年を経過した無期受刑者に対して地方更生保護委員会が独自の権限により、仮釈放の審理を開始する通達が2009年に法務省から出されました。
 2017年、これによって星野さんの受刑期間が30年を経過する情勢を迎えたことにより星野さんの仮釈放審理が自動的に始まることになったのです。この事態をどう迎えるのかが運動全体に問われました。終身刑を意味する「マル特無期」が想定されている星野さんが仮釈放になる訳はないとの意見もありました。結局、頭を下げることになるのではないかとの議論もありました。しかし、法務省からの独立機関であり準裁判所と位置付けられる審理機関で仮釈放審理が始まる以上、再審闘争同様、困難な闘いではあってもこれに挑む方針に舵を切ったのです。それは獄中44年と高齢を迎えた星野さんをこれ以上獄中にとどめるわけにはいかないからです。
 懸案となる「改悛の状」が要件とされることについては仮に再審請求中であっても求められるその意味については明確な論理を獲得しました。受刑生活全般のありかたに「改悛の状」が適用され、再審請求中であっても審理に影響はしないことが法務省の国会答弁に示されているからです。
 ここから13回に及ぶ高松市にある四国地方更生保護委員会への申し入れ行動を軸として、全国の星野闘争は文字通りの「星野奪還闘争」を開始しました。一人ひとりの手による要望書は絵画展を軸に2万筆に迫り、立場を超えた大衆運動として全国を駆け巡り、各地に「星野活動家」が生み出されました。さらに各地域の労働組合が取り組みを引き受け労働運動のなかに星野闘争がしっかりと位置付けられました。全日本建設運輸連帯労組関西生地区コン支部や全港湾日本海地方本部からも多くの要望書が届きました。
 2018年6月3日「星野さん解放!高松全国集会」と市内パレードは全国から1000名が結集し、全国紙など4紙への意見広告も実現されました。救援運動としてその名は全国的に知れ渡りました。
 さて2019年3月14日、仮釈放審理が大詰めとなるなかで更生保護委員会委員長と推察される人物の最終面接が星野さんに行われました。核心は星野さん自身の意見を求められることでした。私たちは星野さんを絶対的に信頼する立場にたちました。無実で獄中44年、沖縄闘争を闘った政治犯として非転向を貫く星野さんは存在そのものが正義であり誰もが到達したことのない偉大な革命家として、人間として屹立しているのです。
 しかし、許しがたいことに更生保護委員会は3月25日の年度末に仮釈放を不許可としました。しかし、私たちは更生保護委員会をぎりぎりまで追い詰めたことは間違いありません。この闘いが委員一人ひとりに並々ならぬ動揺を与えたことはあきらかであり、これを見た法務省・国家意思は審理の現場に圧力を加え不当な仮釈放不許可を強制したのです。これを物語るように4月、新人事では委員長辞任はじめ崩壊状態が判明しました。4月1日に星野さんは刑務所から口頭で不許可を告げられました。星野さんは「僕は打たれ強いから大丈夫だ」と述べました。本当に悔しい限りです。
 更生保護委員会闘争は星野闘争の土台を一回りも二回りも大きくしたことは間違いありません。さらに新自由主義の崩壊のなかで「人間が人間らしく生きる」新しい社会を求める根底的な力として蓄積されています。もし星野さんが生きていれば、この力でさらに大きな闘いが可能だったでしょう。この偉大な蓄積を星野さん亡き後の今こそ発揮されなければなりません。それは星野さんが沖縄、三里塚を闘い「人間が人間らしく生きる社会」を希求し捧げた生を私たち一人ひとりが引き継ぐことだと思います。

(2)星野文昭さん獄死の責任を問う国家賠償請求訴訟

 2019年5月30日午後9時44分、星野文昭さんは無念にも獄死させられました。享年73。
 5月28日に東日本成人矯正医療センターにおいて肝臓がん切除手術を受けて、わずか2日後でした。
 徳島刑務所と医療センターは一体何を行ったのか、私たちは怒りと共に疑問を持ちました。同年7月と10月、医療センターと徳島刑務所に対して3回の証拠保全手続きを行いました。その分析の結果、星野さん獄死は殺人にも等しい国家犯罪であることが分かりました。
 2020年2月21日、星野暁子さん、治男さん、修三さんの3人が原告となって、東京地方裁判所に国家賠償請求訴訟を申し立てました。
 6月22日に第1回口頭弁論、8月27日に第2回口頭弁論が開かれ、本格的な攻防が始まりました。第3回口頭弁論は、12月3日です。
 被告・国が提出した「準備書面」は全面的な居直りであり、全身が震えるような怒りなしには読めないものです。この点を徹底的に攻めていくのが、当面する焦点となります。

  ①徳島刑務所の責任
 星野さんは、2018年6月に血液検査を受けました。その結果、肝臓の状態を示すγGTPが77になっていました。前年の2倍の値です。この時にエコー検査を行っていれば肝臓の異常はすぐに発見できたはずです。8月22日には腹痛を訴えて、作業中に倒れました。ところが、刑務所の医師は病舎で1日休養させただけで、作業に復帰させました。夏以降、星野さんは食欲不振と体重の減少が続き、面会した家族や弁護団が異常を感じるほどになりました。しかし刑務所は、10月に胃カメラ検査を行っただけで放置しました。
 翌年2月に血液検査を行い、その結果、3月1日に腹部エコー検査と肝臓がんに注目した血液検査を行いました。そこで、11㎝×14㎝という巨大な大きさに成長した肝臓がんを発見したのです。しかしながら、その結果を星野さんにも家族にも弁護団にも伝えませんでした。
 2019年3月には四国地方更生保護委員会の仮釈放審理は大詰めを迎えていました。2月の面接に続き、3月14日には2回目の面接がありました。徳島刑務所は、星野さんが深刻な肝臓がんに侵されている事実を地方委員会に伝えなかったのです。
 この面接は、星野さんの仮釈放審理にとって決定的に重要なものでした。それを承知で、星野さんの仮釈放を妨害するために法的に義務づけられている更生保護委員会への通知をしなかったのです。
 3月1日のエコー検査直後に分かっていれば、この後の闘い方はまったく違うものになっていました。刑務所から解放されて高度な医療を行える病院に託していれば、星野さんの命を救うことができたと考えます。
 星野さんが知らされたのは、4月18日に医療センターに移送される前夜でした。私たちは、これを「魔の47日間」と呼んで弾劾しています。

  ②術前の問題
 東日本成人矯正医療センターには、巨大な肝臓がん切除手術を行う体制も能力もありませんでした。そのことを逃れる余地なく示すのがICUの問題です。
 被告「準備書面(1)」は回復室について、「ICUに準じた管理がされている」とか、「対外的には回復室をICUと呼んでいる」と主張しています。
 ICUにとって決定的に重要なのは人員配置です。「準備書面(1)」は、回復室にはこんなに高度の医療機器が備わっていると強調していますが、それを使いこなす人間がいなければ何の意味もありません。
 ICUと言う以上、専任の医師と看護師がいることが必須条件です。手術当日の当直医は麻酔科の医師1人でした。しかしこの医師が星野さんの専任であるとは、どこにも書いてありません。医療センターには常時250人から260人が収容されていますが、この医師1人で全員を見ていたと思われます。看護師は2人いたとしていますが、この2人も星野さん専任ではありません。星野さんが収容されていた「2階A棟」には30人程度の受刑者が収容されていました。一体2人で何人の収容者をケアしていたのか不明です。この点は、今後の審理の中で明らかにする必要があります。
 手術に先立つ5月22日に、星野暁子さんと誉夫さんに対して内科の主治医と外科の医務部長が説明した際、暁子さんの「ICUには何日位いますか」という質問に対して「2日位いると思います」と答えています。ここでは「回復室」という言葉は一言も出ていません。一般の人が想定するICUを前提として会話が進んでいます。
 これは2人をだましたということです。

  ③術後の措置
 星野文昭さんを獄死させた直接の問題は、手術中に4000ミリリットルを超える大量出血がありショック状態が心配される星野さんをICUに入れず、必要な医療行為を放棄したことにあります。
 手術当日の夕方から夜にかけて、星野さんはすでにショック状態に陥っていたと考えられます。夕方以降は一度も血圧が90を回復していません。23時の時点で尿は20ミリリットルしか出ていません。ヘモグロビン濃度が低下し、出血が止まっていないことを示しています。さらに、18時50分には「白い馬が何頭も見える」と看護師に訴えて、意識が混濁し始めていることが分かります。
 にもかかわらず、19時以降はまともな医療措置の記録がありません。執刀医も医務部長の外科医も内科の主治医も帰ってしまいました。残ったのは麻酔科の当直医1人です。当直医は23時頃にエフェドリンを筋肉注射しただけです。こんなものは一時しのぎに過ぎず、効果は1時間程度しかありません。
 深夜の1時から5時までは、医療措置を行った記録がありません。看護師も見ておらず、完全に放置されていたのです。

(3)星野国賠に勝利する全国運動
  ①新自由主義がもたらした現実

 1980年代、レーガン(米)、サッチャー(英)、中曽根(日)らが行った新自由主義は、民営化と規制緩和を徹底的に押し進め、資本を野放しにしました。ここで言う自由とは資本の自由であり、金もうけの自由です。その対極で、労働者の権利と生活は破壊されてきました。彼らが最大の目標にしたのは、労働組合とその闘いを破壊することです。レーガンは航空管制官のストライキを軍隊まで動員して潰しました。サッチャーは炭鉱労働者の闘いを圧殺しました。中曽根は国鉄闘争を潰して分割・民営化を強行しました。
 経済財政諮問会議の竹中平蔵は「正規雇用はほとんど首を切れないんですよ。首を切れない社員なんて雇えないです」(朝まで生テレビ)と言い放ちました。これこそが新自由主義の本質を示しています。
 これに対して「もうごめんだ。こんな社会では生きていけない」という声が、全世界で巻き起こっています。日本においても、新たな闘いの波が高まっています。
 星野国賠に勝利する全国運動は、このような怒りと一つになって獄中医療の現実をあばき、その変革をかちとっていくものです。獄中医療、獄中処遇に苦しめられる人や、生きていけない現実に怒る人たちと広範につながり、共に闘っていくものです。
 星野さんを獄死させた獄中医療は、新自由主義そのものと言えます。

  新型コロナウイルス感染
 新型コロナ感染症は世界で5000万人を超え、死者は120万人を超えました。そのうちアメリカは感染者1000万人、死者24万人を超えました。日本における感染症は12万人、死者は1900人に達しています。
 しかし、どの国も「命よりカネ」、感染症対策より経済政策を優先しています。菅政権は感染の第3波をもたらしたGoToキャンペーンをやめようとせず、各自で気をつけろと言うのみです。
 東京オリンピックについては、絶対に実行すると強調しています。
 労働者民衆がどれだけ感染しようが、どれほど死者を出そうが、資本が生き延び繁栄することがいっさいという本質を示したのが菅政権です。
 GoToキャンペーンや数々の助成策で私腹を肥やしたのは、電通やパソナ(竹中平蔵)らとそれにつながる政治家だけです。

  労働者民衆の闘い
 これに対して、二和病院労働組合のストライキが示したように、闘わなければ生きていけないし、闘えば道が開ける情勢が訪れています。
 組織絶滅型の攻撃をかけられた関西地区生コン支部は不屈の闘いを続け、関西生コン支部支援が新たな闘いの結集軸になっています。
 アメリカにおいては、BLM運動が労働組合を先頭に全土で闘われ、結局その力がトランプを打倒しました。大統領選挙をめぐって分裂状況に陥ったアメリカを、根本的に変革する力はこの闘いの中にあります。
*米中対立と核戦争の危機
 トランプ政権がバイデン政権に変わろうが、米中対立と核戦争の危機が去るものではありません。菅政権はバイデン次期大統領にすがって、尖閣諸島に日米安保が適用されると、習政権に突きつけました。日本は究極的には自身の核武装のために、原発の再稼働と新増設すらも狙っています。「2050年温暖化ガス排出ゼロ」もそのためにかかげたものと言えます。

  改憲・戦争阻止
 菅政権は、安倍政権を引き継いで改憲・戦争への道を進もうとしています。立憲民主党などは早くもこれに屈服して、憲法審査会の開始を認めました。しかし、労働者民衆は、このような屈服を乗り越えて闘う力を持っています。関西地区生コン支部、二和病院労働組合、動労千葉などを先頭に力強い闘いが開始されています。星野絵画展は多くのひとびとの怒り、本音が解放される場としても提供されてきました。とりわけ戦争に突き進む危機感が星野さんと結合することで改憲戦争阻止への確信を深める出会いの場としてその役割も担ってきました。この力を生かし戦争改憲阻止の闘いを星野闘争として広げていきましょう。

  ②星野国賠に勝利する全国運動の方針
 闘いの方針の第1は、国賠訴訟を総力で闘うことです。双方が主張を出し合い、いよいよ本格的な攻防が始まりました。来たる12月3日には第3回口頭弁論が闘われます。終了後、霞が関法務省デモが新たに企画されました。傍聴は限りがありますので、このデモで法務省を徹底弾劾しましょう。多くの方々の結集をお願い致します。
 国賠訴訟は、国家権力との闘いです。国の機関である裁判所に、国(徳島刑務所と東日本成人矯正医療センター)が行った行為の責任を認めさせるのです。
 弁護団と一体で、被告・国との闘いに勝利していきましょう。
 
  広範な労働者民衆の闘いを組織しよう
 法廷内の闘いを全力で進めると共に、これを大きく包み込む広範な決起をかちとっていく必要があります。国賠訴訟を中軸とした運動の拡大を実現することが求められます。私たちには星野さんが残した200点余りの絵画という武器があります。その意味では星野さんは絵画展のなかで生き続けます。これまでの目的とは違ってきますが星野さんが私たちに託した「人間が人間らしく生きる社会」の実現に向けて新たな絵画展運動を創り出していきましょう。星野さんのすべてを礎としてその魂を我が物とし刑務所医療の非人間性を暴露し、国賠闘争を人々に知らせ要望書を集めましょう。
 虐殺にも等しい星野さんの死は、新自由主義と根底から闘う階級的労働運動、労働組合が知れば、我がことへの弾圧としてその魂は揺さぶられるはずです。これまで以上に訴え取り組みを求めましょう。

  ③呼びかけ人と共に決起しましょう
 星野国賠を自分の闘いとする人と一体の決起をかちとりたいと考えています。これまでの陣形に加え星野国賠を担う呼びかけ人を組織していきます。とりわけ刑務所医療と闘う運動、個人、学者、医師などと固く連帯し星野国賠を焦点化する社会運動を目指します。

 呼びかけ人は何をするのか
  *裁判の傍聴、原告や弁護団、全国の救援会との交流・団結。
  *それぞれの領域を駆使し広く社会にアピールする。
  *学習会。ミニ集会。地域の運動を行う。学習会は連続したテーマをベースに企画し『星野新聞』掲載、ブックレット化してゆく。  
  *集会などを組織し、節目での記者会見等。

  ④共闘の拡大
 非人間的な獄中処遇と闘う人々と連帯しましょう。具体的に同じ闘いを共にするひとびとと連帯、団結し共闘していきましょう。
 伊藤耕さん国賠訴訟~
月形刑務所で2017年10月17日死亡。倒れるまで腹痛を訴えたが不適切な治療で放置され死亡。死因は腸閉塞だったが死因の説明は二転三転し、家族の執念で遺体解剖の結果判明。出獄直前だった。ロックバンド「FULLS」のカリスマ的ボーカルとして活躍し名を馳せる。享年62

  ⑤沖縄闘争との連帯
 1971年11月14日の闘いは、沖縄本土の分断を打ち破るものでした。星野さんが闘った沖縄返還政策の本質を今日的に明らかにする闘いとして訴えよう。
今日の辺野古新基地建設阻止と結合して闘っていきしょう。さらに沖縄を拠点として敵基地攻撃能力強化策動により南西諸島にミサイル配備が強化されています。自衛隊の存在とその予算で島民を分断支配する攻撃との攻防が激しくなっています。沖縄闘争全体の闘いとして連帯し星野闘争の核心に据えよう。

  ⑥第3次再審闘争と大坂正明さんの闘い
 これからの重大な課題です。許しがたいことに東京高裁は星野さんの死亡により第2次再審は「終了」したと通知しています。新たに暁子さん、ご家族が原告となってこの闘いに挑んでいきます。
 大坂正明さんの裁判と一体で内容を形成していくとともに、新証拠の形成を見据えた体制も準備しなければなりません。弁護団との議論を深めながら新たな運動を構想していきます。

  ⑦財政
 国賠闘争をやり抜くには多額の費用がかかるのが実情です。
 これまでくり返しカンパをお願いしてきましたが、この闘いに絶対に勝利するためにはさらなるカンパをお願いするしかありません。全国の皆さまにご協力をよろしくお願いします。
長期にわたって闘うために、星野再審連絡会議の賛同会員の拡大を図っていきましょう。

  おわりに
 星野文昭さんの意志を引き継いで新たな運動が始まりました。
 星野暁子さんは「自分が星野文昭になる」と言いました。それは、星野さんの死を乗り越える新たな生として、私たち一人一人に問いかけています。それは闘いへの新たな希望を生み出すものであり、「人間が人間らしく生きられる社会」の建設を私たちが引き受けるのです。その時、私たちは星野文昭になるのです。
 闘いの方針が示されています。星野闘争はさらに一回りも二回りも豊かに、戦闘的に、大衆的に、力を蓄え世界の闘う人民と共に進みましょう。


 星野国賠に勝利する全国運動 呼びかけ人
 青木恵子(冤罪犠牲者の会) 飯田江美(船橋二和病院労組委員長) 磯部忠(国賠ネット) 金元重(国鉄闘争全国運動呼びかけ人) 斎藤貴男(ジャーナリスト)坂手洋二(劇作家・演出家) 土屋翼(国賠ネット)  船木明貴(改憲・戦争阻止!大行進神奈川) 松永優(国賠ネット) 松元ヒロ(コメディアン) 三浦正子(婦人民主クラブ全国協議会) 山田真(医師)
弁護士
 高山俊吉(東京弁護士会) 武内更一(東京弁護士会) 西村正治(第二東京弁護士会) 葉山岳夫(第二東京弁護士会) 森川文人(第二東京弁護士会) 山本志都(東京弁護士会)