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星野再審弁護団が発足したのは1991年でした。弁護士になったばかりの鈴木達夫先生を中心に、和久田修先生ら43期の弁護士で再審弁護団は発足しました。鈴木先生は、その弁護団長として30年間重責を担ってきて下さいました。
鈴木先生は、どんな困難な中でも明快な方針を提起して全体を引っ張っていく力を持っている方でした。その力は星野再審においても遺憾なく発揮されました。第一次再審請求で、棄却されたとはいえ、最高裁で共犯者供述に誤りがあることを認めさせるところまで追いつめたことに、鈴木先生の闘いがありました。
私が最も感謝しているのは、度重なる文昭との接見です。弁護人は、立ち会いも時間制限もなしの面会をすることができます。友人として、同志として、弁護人の垣根を越えて、時に激論を交わしながら熱のこもった接見をしていただいたことは、自由な討議や会話が奪われた文昭にとって、どんなに励ましになったかわかりません。
3年前からの四国地方更生保護委員会闘争は、鈴木先生にとって、星野での最後の闘いになりました。更生保護委員会に対する申し入れで、毎回テーマを変えての弁護団の申し入れは、迫力があり、これ以上ない申し入れとして更生保護委員会を追いつめました。鈴木先生には、その申し入れのまとめ役として家族・弁護団・運動の代表の一人ひとりの力を引き出した面会をやっていただきました。全力投球の闘いでした。鈴木先生は、この闘いの途上で肺ガンに侵され闘病生活を余儀なくされました。
どんな集会にも30分前には到着して、その発言は手加減なく、みんなを勇気づけるものでした。2016年には参議院選に立候補なさいました。いつも若々しく、わかりやすく安倍政権を批判し、労働者一人ひとりが社会の主人公だと説き明かしてくれました。
鈴木先生。長い間本当にありがとうございました。再審がこれからだという時に、星野文昭に続き、鈴木先生を奪われたことは本当に無念でなりません。残された者が後を引き継いでいく以外ありません。
私は、星野文昭になってこれからの国家賠償請求訴訟と第3次再審、そして人間が人間らしく生きられる社会をつくる闘いを担い、勝利させることを鈴木先生の霊前に誓いたいと思います。そして、同じ志を持つ者として、きびしくもあり、叱咤(しった)激励して下さった鈴木先生の遺志を引き継いでいきます。鈴木先生。文昭と一緒に見守っていて下さい。
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星野新聞第93号 掲載
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