TOPページへ ! 
大坂正明さん裁判勝利へ シリーズ①
星野さんの闘いと一つ

連載開始にあたって
 1971年11月14日、星野文昭さんと共に渋谷闘争を闘った大坂正明さんの裁判が、来年にも行われる見込みとなっています。星野さんと大坂さんの裁判における証拠構造はまったく同じであり、大坂裁判において無罪をかちとることは星野さんの再審開始・無罪に直結します。このような観点から大坂正明さんの闘いと裁判について、5回にわたり連載します。
大坂裁判事務局と星野再審連絡会議が合同で街頭宣伝(8月22日 東京霞ヶ関)
 無実で指名手配46年
    沖縄闘争不屈に貫く

 大坂正明さんは1949年9月29日、北海道帯広市に生まれました。今年で70歳になります。
 68年3月に道立帯広柏葉高校を卒業し、同年4月に津田沼の千葉工業大学へ入学しました。大坂さんは動労千葉青年部の労働者との交流も持ちながら、学生運動に参加していきました。当時の労働者には、今も大坂さんを覚えている人がいます。
 71年11月14日、大坂さんは沖縄返還協定批准阻止闘争に立ち上がり、星野文昭さんと共に闘いぬきました。この日、渋谷の街は1万2000人の機動隊に制圧され、戒厳令にも等しい状況でした。
 直前に行われた11・10沖縄ゼネストと連帯して闘うために、全国の労働者・学生が渋谷を目指しました。闘いは深夜まで続き、総計313人が逮捕され、池袋駅では大阪から上京した教育労働者の永田典子さんが機動隊に殺されました。この中で、機動隊員1人が死亡しました。
 政府・国家権力はこの闘いに大打撃をうけました。警察庁の後藤田正晴長官が「なにがなんでも犯人を検挙しろ」と厳命し、すさまじいでっち上げ弾圧が始まりました。同年12月までは反戦青年委員会の労働者に攻撃を集中しましたが、完全黙秘の闘いによって破綻しました。
 翌年1月、星野さんのでっち上げを目的に群馬県の学生たちへ弾圧を集中しました。警察・検察の密室でウソの供述調書をつくり、それに基づいて次々逮捕を拡大して行ったのです。
 2月21日、警察は、すでに「公務執行妨害」等で逮捕していた奥深山幸男さんたちを「殺人罪」で再逮捕すると同時に、星野さんと大坂さんを全国に指名手配しました。
 星野さんは75年8月6日に不当逮捕されましたが、大坂さんは2017年5月まで46年間にわたって指名手配を打ち破る闘いを続けました。これは、星野さんの獄中44年と並ぶ、不屈・非転向の闘いです。
 不当逮捕から2年余り、大坂さんは東京拘置所に勾留されています。裁判員裁判に向けた手続きは非公開で、ほとんど被告人抜きで進められるため、拘置所から出る機会もわずかです。それでも不屈に「星野さんの遺志を継ぐ」と宣言を発し、労働者民衆と共に闘いを続けています。


星野新聞第85号 掲載